近隣の親子が兼松講堂周辺を散歩しているのは日常風景だが、本学には子育てをしながら通う学生もいる。その中から、今回は母親でもある3人の学生に聞いた。
Aさん(博言社3)は本学社会学部卒。在学中は中国語の勉強にのめり込み、中国へ如水会留学もした。
卒業後は大手自動車メーカーに就職。転職先の外資系企業も含めて職場に外国人が多く、一緒に働くうちに外国人の話す日本語やその習得過程に興味が湧いたという。「自分が中国語の習得で苦労したからかも」とも話す。
バリバリのキャリアウーマンだったAさんだが、夫の転勤時に退職。訪れた大阪で新しいことをやろうと、日本語学校の講師になった。その中である本に出合い、本格的に日本語教育の研究がしたくなったという。著者は石黒圭連携教授。偶然にも母校で教えていることが分かり、夫が東京に戻る際、言語社会研究科の修士課程を受験した。
子どもは1歳になる前だったが、「研究は自分のペースで出来るので、育児をしていても仕事よりはハードルが低かった」と話す。保育園入園を目指す「保活」の末、子どもを認可保育園に入れて研究を始めたものの、入学後に夫のロンドン赴任が決まる。「夫と子どもの仲がいいので引き離すのもかわいそうだなと思って」と、夫の後を追って修士2年次に渡英した。休学した期間もあったが博士課程に進学して研究は続け、指導教員とはスカイプでやりとりした。一時帰国して学会で発表したこともあったという。
帰国後は子どもが保育園に入れず待機児童になり、現在は幼稚園に通わせている。「ロンドンでは現地のプリスクールに通っていたので子どもは日本語が分からなくて。今はほとんど英語を忘れているようですが、ジェスチャーはイギリス人っぽいです。息子の言語習得にも興味がある」と研究者としての顔をのぞかせた。
金さん(博言社3)が第1子を出産したのは修士2年目の9月だった。その年に修士論文を出すつもりだったが「寝不足が続いて執筆が進まなくて。生まれた後に育児の大変さに気がつきました」。結局提出は1年延長。その後、進学する周囲の友人に影響を受け、博士課程に進んだ。
博士課程2年目の1月には夫の渡米が決まった。12月に第2子を産んだばかりだったが、「親戚もいない東京に残って一人で子どもを育てるのは無理だろうと思ったし、英語の勉強もしたかった」と、最長3年の休学をフル活用して夫の渡米に同行した。
アメリカで第3子を出産。昨年3月に帰国する際は長く離れていた研究を続けるか悩んだという。そんな金さんが研究を続けたのには、学位を取った同期の活躍、そしてアメリカで出会ったロールモデルの存在が大きい。その女性は博士号を取得した4児の母で、金さんと出会った後、オーストラリアで研究職に就いたそうだ。「博士号を取ってすぐに研究職に就かなくてもいずれ役立つのかもしれないという気持ちを持てるようになった」と金さん。現在は研究職の道も視野に入れている。
帰国後は第3子が待機児童になったが、渡米中に3年の休学可能期間を使い切っていたため、去年は主ゼミの日だけ大学に通っていたという。研究内容は植民地時代の朝鮮について。現在は朝鮮出身の女性飛行士の生き方を研究している。
「学費はかかるし、平日は子どもを遊びに連れていけない。申し訳ないとも思うけど、夫も応援してくれていますし、やりかけのものを諦めたくないから」
商学研究科経営学修士コース(HMBA)で学ぶCさん(修商2)は、小学生の子どもがいる。大学卒業後は企業で働き、結婚を機に退職。フリーで仕事をしていた。
前々から仕事に役立つ知識をつけたいと思っていたが、大学の授業は時間が決まっているため子どもを預けずに通うことは難しい。教育方針にこだわって選んだ幼稚園には延長保育がなかったため、小学校入学を待って進学した。「夫は大学院に進むことには賛成してくれましたが、家のことを第一にという条件がありました」
夫の帰宅は深夜。国立のスーパーで夕食の買い物をしてから1時間かけて帰宅し、学童クラブにいる子どもを迎えに行くこともあるという。忙しい日々だがCさんの第一優先は育児。「親からも勉強もいいけど、子育てを第一に考えて行動しなさいと言われています」。子供を学校に見送ってからでは1限の授業に間に合わず、5限は学童のお迎えに間に合わないのでシッターを手配することもあると話した。
一口に「大学に通うお母さん」といっても研究と家庭のバランスは異なる。卒業後は就職を希望する人でも、学生として大学に戻ってくるかもしれない。大学院を含め、在学中に結婚・育児を経験する人もいるだろう。取材した3人は、女子学生の一つのロールモデルになるのではないだろうか。
また、結婚や出産は女性だけの問題ではない。次回は子育てをしながら大学に通う男性を取材する。