高輝度青色LEDの発明でノーベル物理学賞を受賞したカリフォルニア大学材料物性工学科の中村修二教授が10月3日に兼松講堂で講演を行った。

 中村教授は1954年愛媛県生まれ。高校時代は物理と数学が得意で大学では物理学を専攻するつもりだった。しかし教員から工学部を勧められ、言われるがまま徳島大学工学部電子工学科へ進学。「大学では好きな勉強ができると聞いたのに全く面白くない」と感じ、休学して半年間引きこもったことも。「周囲の大人に言われた通りに生きてきたが、自分がやりたいことを通さないとダメだ」という考えをこの頃もつようになる。修士号取得後は徳島県の日亜化学工業に就職。創業者は開発を長い目で見守る懐の大きい人物であった。35歳の会社の依頼でアメリカへ1年間の日程で留学したが、現地では博士号をもたない中村氏は研究者として扱ってもらえず悔しい思いをした。帰国後は博士号取得を目指して研究を続け、後にノーベル物理学賞を受賞することになる高輝度青色LEDの発明に成功する。アメリカの大学から多くのオファーを受け、2000年に現職に着任した。

 講演会後、佐野書院でレセプションが開催された。中村教授は大勢の学生に囲まれ、彼らの質問にも笑顔で答えていた。自身の経験から日米を対比し、「日本には職場を変えるという感覚がないから、文理を問わず実力のある人間も職場に飼い殺しされてしまう」と語る。レセプションの最後に中村教授は「今の日本はせっかくいいモノを作っても海外に出ることを躊躇う」と嘆いた。「1年後には中韓にコピーされ彼らは海外で積極的に売り込むから彼らに負けてしまう。だから、若い皆さんが積極的に海外に出て日本経済を立て直してほしい」