JR谷保駅前を進む各町内の万灯

 谷保天満宮は903(延喜⦅えんぎ⦆3)年の創建。菅原道真の三男・道武(みちたけ)が、父の木像を自作して祀ったのが始まりとされ、東日本最古の天満宮として古くから多くの人の崇敬を集めてきた。

  谷保天満宮獅子舞は、947(天暦⦅てんりゃく⦆元)年、村上天皇(在位946~967年)が道真の霊を慰めるため、谷保天満宮に使いを派遣した際、3匹の獅子頭とともに舞を奉納させたのが始まりとされる。以降、地元住民によって継承され、何度か中断されつつも、毎年例大祭で奉納されてきた。
 獅子舞では、ねじり上がった角が特徴の大頭(おおがしら)と、角がまっすぐの小頭(こがしら)と呼ばれる2匹の雄(お)獅子が、雌(め)獅子をめぐって争う様子が描かれている。また、獅子頭や舞人の衣装で十二支が表現されており、このような獅子は珍しいとされる。
 かつては「獅子宿(ししやど)」と呼ばれた佐藤家の屋敷で稽古などが行われた。現在の国立府中IC付近にある佐藤家から、甲州街道を通り、谷保天満宮へと向かう獅子を先導し、道を清める意味で始められたのが現在の万灯行列である。しかし、甲州街道の交通量増加に伴い、昭和40年代以降は現在のような形で行われている。
 獅子舞は古くから、下谷保(しもやぼ)と坂下の2つの町内が中心となって奉納されており、なかでも舞人は、家の長男だけが務めることを許されていた。現在、獅子舞保存会の副会長を務める遠藤守城(もりしろ)さんは、当時を振り返り「私は富士見台に住んでいたが、当時は下谷保と坂下の2町内だけでも若者がたくさんおり、担い手は十分にいた」と語る。しかし、遠藤さんが笛の吹き手として参加した34年ほど前から、人手不足が問題になり始め、他の町内の人も笛の吹き手や舞人などとして参加するようになった。そして、20年ほど前からは、市内外問わず、希望者を受け入れるようになった。
 保存会員は、毎月第3土曜日の夜、天満宮境内の参集殿に集まり、次の祭りに向けて練習を重ねる。舞人はほとんどの場合、雌獅子から小頭、大頭と、それぞれの役を順番に務めていく。すべての役を務め上げて引退した後は、舞人を指導する立場になり、伝統を次の世代につないでいく。
 ただ、近年は、仕事との日程調整の難しさもあり、担い手不足がさらに深刻になっている。「昔は40歳前後で引退することが多かったが、最近は50歳近くまで続ける人もいる。せっかく新しい舞人を見つけても毎年やるのは難しいというケースもある」と、遠藤さんは厳しい現状を明かした。また、谷保天満宮の顧問を務める神職の菊地茂さんも、獅子舞の担い手不足に触れ「継承と時勢の変化のせめぎ合いの中で、あり方を変えていかなければならないのかもしれない」と語る。貴重な郷土芸能が、これからどのように受け継がれていくのか。今後の動向も見守っていきたい。

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