OBOGインタビュー企画 河村たかし名古屋市長

 本学は来年で創立150周年を迎える。本学はこれまで、国内外を問わず、様々な分野で活躍する人材を輩出してきた。今回本紙は、その一人である河村たかし名古屋市長(昭47商)にインタビューを行った。自身の大学生活や卒業後の人生に加え、本学への要望や新入生へのメッセージも語ってくれた。

本学OBの河村たかし名古屋市長。2時間に渡り本紙の取材に応じてくれた。

 ──本学商学部を志望した理由は何ですか。
 一浪だったけどね。初めの年は(高校の同級生の)皆が東大を受けるということで、自分も東大の文科二類を受けてやろうと。結果はAランクという僅差1で落ちた。もう一回受ければよかったんだけど、商売屋の息子というのは、(家業を継がなければならないということが)トラウマになっとるもんだで(笑)。それで(商学の)メッカといわれる、本学商学部に行ったわけです。(浪人していたときは)高田馬場に住んどった。高田馬場に一橋学院ってあるじゃないですか。あそこに通って浪人していたんです。

 ──卒業して、家業の古紙業をしばらく継いだ後、政治家を目指したきっかけは何ですか。
 家はもともと尾張藩の侍だった。それで親父は「世のため人のためにならにゃいかん」とよく言っとった。それが底流として流れていて。
 商売というのはとにかく、人一倍頭を下げないかんのです。そして人一倍働かないかんのですよ。従業員は4人ほどでしたからね。(卒業後)どこにも就職せず、すぐに家のトラックの運転から始まって。毎日肉体労働に勤しんどったわけです。印刷屋から出る古紙とか、家庭から出る古新聞とか、商売をやっとる人から出る段ボールとか、それらを集めて製紙会社へ運ぶ仕事なんだけど。これがなかなか疲れるんですよ。そうした中で、当時はオイルショックで古紙が全く売れんようになったこともあり、このままではちょっといかんと考えた。
 そこで、世の中で一番威張れる仕事は何かと考えて(笑)、検察官を目指したわけです。それで司法試験の勉強のために、中京法律学校(現中京法律専門学校)に夜学で通った。昼間は仕事をせないかんし、結婚して子どももおったんでね。(その結果)一年ほどで択一は受かったんだけど、論文で落ちてしまった。択一はトータルで4回受かったんですけど。そこで挫折したんですよ。仕事もやらないかんでね。その経験が、人生の第一選択肢でなかったものにも、挑戦できるような制度を作ろうという考えにつながった。そのためには政治家を目指すしかないと。

 ──そこからの長い政治生活を含め、本学での学びが役に立ったというようなことはありましたか。
 一つ覚えとるのは、あれは2年生のときだったかな。貿易の先生が「とにかく船を一艘買いなさい。できたらなるべく大きい船がいい。海運というのはシンジケートになっているから絶対倒産しない」と。それはよう覚えとる。しかし家は古紙屋だもんで、そう言われても、ちょっとその距離感がありすぎるわな(笑)。まあでも、私の心の中でも「どういうことをやっていったら会社は伸びていくんだろう」と。(大学は)道場じゃないんですから「頑張れ、頑張れ」と精神的なことを言われても仕方ない。(貿易の先生のような)客観的な話がいる。

 ──他に印象に残っている授業はありますか。
 経済学部の小島清先生2の授業で言っとったのは「何が社会を引っ張っていくのか」と。何だと思うかと私に聞かれて「うーん」と言ってわからんだけど(笑)。小島先生は「よりよいものをより安く作ることだ」と。確かにそうだわな。「よりよいものをより安く作ると、人々はそれを使いたがる。使いたくなって需要ができると、金もうけをしようとしてもっと設備投資ができる。この瞬間が世界史を引っ張ってきた」のだと。あれはよう覚えとる。

 ──学生時代、授業の他に力を入れていたことはありますか。
 アルバイトはそんなにはやっとらんけど、国分寺のビルの清掃の仕事をやっておりました。これが給料が払われなかったりして、ひでえもんだった(笑)。まあでもアルバイトというより、休みのときはほとんど名古屋に帰ってきて、家の仕事をやっていましたね。商売屋の長男ということで。
 他には、1年生のときは硬式野球部におって、野球部もそりゃあ楽しかったよ。だけど主に、どういう職種に就こうかということをいろいろ考えながら、模索しながら4年間が過ぎてってまった。それで結局、どこにも就職せずに、家へそのまま入ったということですわな。悩んどることで頑張ったことにはならんけども、自分の環境が古紙屋で、住み込みの人も一緒におる、一緒に仕事をやらなあかんと、その他の選択肢はなかなか出てこなかったなあ。

 ──学生時代は職業選択で悩んだということですが、もしもう一度やり直せるなら、大学卒業後はどのような進路を歩みたいですか。
 やっぱりあのとき(将来性があった企業)はIBMだったかな。まだインターネットはなかったけど、これからはインフォメーション・ハイウェイの時代が来ると。今だったら、IBMの入社試験くらい受けに行きましたね。そこで5年くらい勤めさせていただいて、自分で商売を起こす。マイクロソフトやソフトバンクみたいに、インフラを作りたいわな、やっぱり。
 あと医学なんかも魅力があるな。医者にならんでもええけど。科学の進歩といったらやっぱり医学ですよ。人の命を助けるというのは、奥がめっちゃ深いで。製薬会社だとか、そういうのも医学だわな。
 まあこんなこと言っとると人間暗くなるもんで、今の人生の中で頑張っとるんだけど(笑)。

 ──本学のキャンパスや国立で、好きな場所はありますか。
 たまにちょこちょこ(本学に)行くんですよ。学園祭に呼ばれたこともあるしね。(本学卒の)息子の合格発表のときは掲示板を見に行った。なかなか暇はないけど。昔の思い出というか、センチメンタル・ジャーニーですけど。いろんなところをぶらっと、一日くらいかけて、国立界隈を巡るんです。
 学内だとやっぱり、野球部におったときの、学食の向こう側にあるグラウンド。結構真面目にやってましたからね。それから都留重人さん3が陸上部だったもんで、トラックのところでキセルか何かを吸って、物思いにふけってござったのをよく覚えております。
 学外で一番行っとったのは、富士見通りをずっと行って、大学がちょうど切れた角に「もみじ」という居酒屋がありまして。あそこはよく行ってましたね。金もないのに(笑)。今は辞めちまったけど。あとはロージナ4にも行ってましたね。

河村市長が思い出の地として挙げた、本学のグラウンド。

 ──卒業後のつながりが強いことが本学の特長の一つとされています。そのことを感じる場面はありますか。
 選挙では同窓生に世話になっとる。それはありがたい。数は少ないけど、名古屋にもたくさんおる。よくカンパしてくれたり、選挙の応援してくれたり、よくやってくれますので。如水会の皆さんにもよく応援してもらっています。ありがたいことです。商学部だと商売屋の息子も結構おるし、割と話は合いますわな。

 ──本学はここ数年、入学者のうち関東出身者が7割を超え、地方出身者が少ない状況が続いています。地方出身者である河村市長は、この状況をどう捉えますか。
 それは由々しき事態ですね。経済学が分かっとらんもんで、財政危機だと言って、民間の会社の投資が少なくなっとるんですよ。かといって、実はお金は余っとるんであって。みんな東京に集中しとるわけです。だから日本の中では、やっぱり東京の会社が魅力的に映りますわな。金が東京に集まっとるんだったら、商売やるなら東京でということになりますわ。そうすると、地方から商売をやるという気力がなくなるんじゃないかな。
 一橋の(元来の)中心は商学だから、それ(=関東出身者が多いこと)は、国のお金の流れと一致してますわな。金が東京に集中しとる。すると当然、東京の商売が栄えるわけだ。そうすると商売・経済の殿堂である一橋も、東京出身が集中すると。そういうことでしょう。こんなことをやっとると、国は滅びる。
 ただネット社会になってきたら、それを上手に使いながら、地方でも物を売っていくということは、できんでもないわな。ちょうどええわ、一橋新聞から(本学に)問題提起をすると言って「産業を生め」と。抽象的に言ったっていかんよ。そのための(学生への)指導が必要でしょう。

 ──本学は来年、創立150周年を迎える。この転換期に、河村市長が本学に求めることはありますか。
 (卒業後の進路を考える上で)業界の選択というのが非常に大きい。そういう学問がないんだよな、振り返れば。教養学部の授業をやるよりは、商学部なら商学部で「どういう業種をやったら一番世の中の役に立てるか」ということを、本当は教えなければいかん。自分で選ばないかんというと、私らみたいな商売屋の長男からすると、親の後を継ぐというのが、圧倒的に頭の中で占有されとるわけですよ。
 (本学が掲げる人材育成の使命である)「キャプテンズ・オブ・インダストリー」と言うんだったら、インダストリーはいろいろあるんだから、どう選択していくかというのがめちゃくちゃ大きい。それを教える授業が必要。受験勉強ばっかやっとっても、くそのふたにもならん5ぞと(笑)。
 アメリカなんかすごいですよ。名古屋で今やろうとしておりますけど。まず高校入試がないんですよ。先進国で高校入試があるのは、中国と日本くらいじゃないかな。みんな好きなこと、やりたいことをやるんですよ。ロサンゼルスの中学校へこの間、行ってきたんだけど、農業だとか公務員だとかサービス業だとか、いろいろ分類してあって、それぞれ一日1時間(授業を)やるわけです。人生の選択肢を子どもに作ってあげると。そういう風にやらんといかんです。

 ──そうした授業がない現状では、大学生はどのような心構えで、大学生活を送ればよいのでしょうか。
 なかなか難しいわなあ、自分の頭で(何をすべきか)考え出すのは。まあ、何がこの世の中で流行りそうかと。今でいうと、オープンAIだとか。でも一番根底的なところは、GAFAM6にプラットフォームを占領されてまって。
 自分が衆議院に入った時分は、NECだとか富士通だとか日立だとかが、世界のトップクラスだったんですよ。今は全然いかんがね。財政危機だという嘘7によって、民間の投資意欲がものすごく減退した。民間までそれが響いていっちゃうからね。日本はどうも金がないらしいと言って。正しい経済学を持っとらんと、社会は渡れんことはないけど、間違えますわな、やっぱり。

自身のお薦めの書を手に取る河村市長。

 ──最後に、新入生へのメッセージやエールをお願いします。
 勉強なら、ノーベル経済学賞くらい取ってくれと。それくらいの気持ちでやらにゃいかんで。商売に進むなら職種の選択がやっぱり大事。
 まあ政治もそんなに悪いことはないですよ(笑)、ええこともできますから。経済はアダム・スミスがレッセ・フェール(自由放任主義)と言ったように、放っておくと競争してよくなっていく。政治は放っておくと悪くなるんですよ。権力闘争になって殺し合いをやるわけですから。だから、そういう中で政治というものがどうもいるようだと。まあそういう努力は、世の中でどうしてもいるわけですよ。
 (政治家になりたければ)普通の場合は、学生のうちから、経験のあるええ代議士さんのところへ行って、ボランティアで手伝いをやって、そこから段々チャンスをつかんでいくと。チャンスが重要だでね。選挙区というものがあるし、人数が限られとるもんだから。そういう道もありますよと。もしその気があるなら、一橋新聞を経由して、私のところにでも連絡してきてください(笑)。
 (日本は)GDPでいったら、600兆円くらいあるわけだから、600兆円くらいの生きていく世界があるわけです。ラーメン屋の親父から、トヨタ自動車の社長まで、いろいろあるけれども。チャンスは実はあるんですよ。自分で考えてやっていくしかないわな。

1東京大は入学試験の成績開示の際、不合格者の順位について、高い方から順にA~Eの段階別で表示している。

2小島清(1920~2010)…名古屋市出身、本学卒の国際経済学者。本学名誉教授でもある。

3都留重人(1912~2006)…名古屋が生んだ国際経済学者。国民所得は生産・分配・支出のどの側面から見ても、理論上は等しくなるという三面等価の原則を考案・命名した。72~75年には、本学学長も務めた。

4国立駅南口を出てすぐ、大学通りの路地裏にある、ロージナ茶房のこと。

5無意味な事柄を言い表す、名古屋ことば。

6現代のテクノロジー業界において、特に大きな影響力を持つ、グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソフトの5社の総称。

7河村市長は、国債の金利が低いままであることを根拠に、日本が財政危機であるというのは嘘だと主張している。新入生には、リチャード・クー著『「追われる国」の経済学』(東洋経済新報社)を読んでほしいと話してくれた。

河村たかし(かわむら・たかし)
名古屋市長、地域政党「減税日本」代表、日本保守党共同代表。48年に名古屋市で生まれ、地元の旭丘高を経て、68年に本学商学部に入学。本学卒業後は、家業の古紙業者に従事した後、93年に愛知1区(中選挙区)から衆院選に出馬し、初当選。以来5期にわたり国政に携わったが、09年に衆院議員を辞職し、名古屋市長選に出馬、当選。市政では「庶民革命」を掲げ、市民税減税や市長給与の削減、常勤スクールカウンセラー設置などを断行した。現在4期目。