兼松講堂前1日観察

 5月4日の深夜0時。普段とは異なりすっかり静まり返った兼松講堂前に、腰を下ろした。


 連休真っ只中ということもあり、目の前を通る人々はたいてい「何か」がある。その中で最初に快く取材に応じてくれたのは、弓袋を背負った集団だった。彼らは卒業生同士の交流会のあと、あえて帰らず大学に寄ったと笑った。午前2時半。

 その後長い間、ほとんど人を見ることはなかった。いつもは多くの学生や地域の人でにぎわいを見せる西キャンパスを、今だけは独占している。そんな特別感に酔いながら、曇天から立待月が覗くのを、講堂前の階段に寝そべりながら待った。

 そうして時が流れるのを感じていると、いよいよキャンパスが活気を帯びだした。午前6時半。早朝のキャンパスにさわやかな朝のにおいが漂いはじめた頃、ご年配の方々が挨拶をしながら講堂近くに集まってくるのが見えた。彼らはラジオ体操をしに来ているようだ。終わり次第、その中のある二人組に話を聞いた。
 「一人がラジカセを持ってきて、20人程度で毎朝ラジオ体操をしてるんです。雨が降ったりしない限り、毎日来てるんですよ。この後は各々したい事をします。僕たちはグラウンドを1、2周しますが、フリスビーをやったり構内の食べられる野草を探したりする人もいます」。1年間の大学生活でも知りえなかったことだった。

 日なたが広がるにつれて、散歩に来た親子連れやサークル・部活動にいそしむ学生の割合が大きくなってくる。彼らの足取りが、各々の連休の過ごし方を教えてくれているようだ。春陽にあてられながら、未だまばらな人々の行き交いを眺めていると、意識が朦朧としてきた。午前10時前。

 目が覚めたのは、午前11時頃。講堂前はすっかりいつもの活気を取り戻していた。その中で目を引いたのは、スケッチブックを提げ時計台と対峙するご年配の方々の集団だ。普段なら気恥ずかしくて話しかけはしないが、寝起きの頭がその感情を抑えてくれた。
 「八王子市が『ボケ防止』のために開いているスケッチ会を、月2回ほど担当しています。絵は学生時代やってましたが、退職後に通信大学で学芸員資格を取りながらもう一度勉強しました。ここの他には、東大や日比谷公園など絵になる場所で活動しています」。会の先生である中村英一さんはそう話した。

 絵を描くことに興味があるため、更に色々質問すると快く応えてくれた。「構図、遠近、明暗など基本中の基本を覚えて、その上で見たとおりに描くと『自然とそうなる』。でもバカ丁寧に描くと、全体像が崩れてしまう。そこら辺は10枚も仕上げてみれば出来るようになります」。「だけど、上手と下手の境界なんて曖昧だから結局は自分が好き、という感覚が大事だと思います」。思わず、大学科目にない「講義」を履修できた。

 昼間、西キャンパスの池には多くの親子連れが集まる。その中で、網と虫かごを持つ3人の子どもの親に話を聞いた。「第二次ベビーブームの世代なので、昔はよく団地で遊んでました。だから、よくこうして子どもたちを連れて外で遊ばせてます。僕の時もそうでしたが、子どもたちはその日限りで一緒に遊ぶことが多いですね」。聞けば、一緒に遊んでいる子ども3人のうち、一人はここで初めて出会った子だという。すぐ近くにその親も見かけた。不意にノスタルジーを感じた、12時半。

 午後1時。講堂前に腰掛けて本を眺める、ミステリアスな雰囲気を纏った女性が目に留まった。そこにいるのに慣れているようで、しかし学生ではなさそうだ。彼女の時間に少しだけお邪魔してみる。「今は、考え事をしていたんです。一橋には、幼少期からよく連れてこられていました。今では、好きなときに出入りできるのが気に入っています。諸用でフランスにいた時も、のんびりと過ごせるここの事を考えていました」。彼女の言葉の節々からは、彼女自身の生き方を想起させるような「何か」を感じた。


  貴重な連休の中日を、普段なら敢えて来ない兼松講堂前で費やしてしまった。しかし、夜間の講堂前は日中と全く異なること、そして当たり前ではあるが、同じ日中のキャンパスでも人によって見ているものが全く異なるということを、身をもって実感できた。
多くの人が自分の世界をもって接し、気ままにやりたいことをする。それが、今日私が観測してきたものである。キャンパスは今日も平和だ。