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【連載】大学の自治を問う 第4弾

 本連載では、いま学内で起こっている様々な問題について、その理由を明らかにするため、歴史的経緯や関連する制度などを考察してきた。昨年4月に連載第一回を掲載して以降、6月には学校教育法・国立大学法人法の改正があり、学長の権限が実質的に強化された。これにより、学長選考の持つ意味合いが一層大きくなった。そこで今回は、昨年の学長選考を振り返りながら、今後の大学のあり方を探ってゆく。

【学長参考制度とは――他大学にはない学生参加制度も】

 はじめに、実際の選考の過程を確認しておきたい。まず、学長選考会議において会議の委員などの推薦で3人以上の第1次候補者リストが作成され、公示される。次に、学長選考会議がこのリストから1人以上4人以下の第2次学長候補者を選考する。規則ではこの後、教員と一部職員の意向を聴取するための投票(意向投票)を実施した上で、学長選考会議の委員の投票によって次期学長を選考するとされている。

 ここまでは他の多くの国立大学で行われている形式と同様だが、一橋大学ではここに加えて、第2次学長候補者に対する学生・職員の参考投票(有権者の過半数の除斥票が集まった候補者を除斥する。強制力なし)が行われる。

【注目すべき論点――学内の関心と文教政策】

 これまでの学長選考の結果や歴史、他大学の学長選考の実情などを踏まえると、学長選考に際して注目される点が二つあった。学生の関心がどれだけ高まるかという点と、学長選考会議が意向投票での最多得票者を学長に選出するかどうかという点だ。

 学生の関心については、参考投票の低投票率に表れているように、高まらなかった。学生への影響が大きい「海外短期語学留学の必修化」という争点や、山内進前学長在任中に行われた大小様々な改革・制度変更などに対する、貴重な意思表示の機会となったにもかかわらず、投票率は11・3%と1割をわずかに超える程度だった。

 そして、学長選考会議は意向投票で過半数の票を集めた蓼沼宏一・経済学研究科教授を学長に選出した。これは当然のことだと思われるかもしれないが、いま新潟大学や山形大学、北海道教育大学など全国各地の国立大学では、意向投票で最多得票ではなかった候補者が学長に選出される事態が多発している(そうして選出された学長には官僚OBも含まれる)。京都大学では約1年前、総長選考会議によって意向投票が廃止されかけた。京大では教員を中心に反発が広がり制度は維持されたが、山極寿一氏が新総長に選出された後、総長選考会議の議長が「(山極氏が)選挙で選ばれる最後の総長になるだろう」と述べたとされる。

 さらに、文科省の諮問機関・中央教育審議会の大学分科会が示した「大学のガバナンス改革の推進について(審議まとめ)」という文書には、意向投票の結果を学長選考会議が「追認」するように、「過度に学内の意見に偏るような選考方法は適切とは言えない」とまで記されている。学長が教員の意思によって選ばれる場合、積極的に大規模な改革を進めようとする候補が選出されにくく、大学改革を推し進めたい文科省の思惑とは対立する。そこでこのように、学内の意見によらないで学長を選考するよう各大学に呼びかけがされているということだ。

 そうしたなか一橋大学では、これまでの4年間に大筋で国の政策に沿った大学改革の実行を目指し、その路線の継続を表明していた山内氏ではなく、学内の支持を集めた蓼沼氏が学長に選出された。一方ではこれによって、新たな事業の予算獲得などへの影響が懸念されるが、他方、民主主義的な伝統を尊重したという意味合いも持った出来事だったと評価できる。文科省などから「追認」という糾弾を受けることになりかねない選出結果だが、議長の町村教授は「(学長選考規則で定める)基準のもとで蓼沼氏に決定した。追認という言い方は適切ではない」との解釈を示した。今後も学長選考に際して意向投票などを行い、その結果を尊重していくための下地を作ったと言える。

【問題の根源とは――これからの大学のあり方を考える】

 文科省などが学長選考のやり方を変えさせようと目論むのは、連載第二回で取り上げたように、迅速な大学改革を主導できる人物を学長に据えたいという思惑があるからだ。しかし、改革のために学内世論には蓋をせよという論理には賛同しがたい。とはいえ、学内世論が反映されない理由を全て文教政策に帰するのも無責任だ。低投票率の参考投票に象徴されるように、学生による意見表明の手段を無下にしてきたのは、ほかでもない学生である。

 では、現在の大学の中で、学生はどのように行動をすることができるのか。これを考えるため、社会政策・市民社会論を専門とする高田一夫名誉教授に話を聞いた。大学がどのような論理で自治を行ってきたか、文教政策がどのような意義を持ち、それが大学に何をもたらすのか、考えたい。

――そもそも、学長を学内の選挙で、学生や職員も参加して選ぶようになったのはなぜなのでしょう。学問の自由を守るためでしょうか。

 学問の自由を守るというのは、その通りだと思いますが、私は日本の戦後民主主義の特徴がここに出ているのではないかと考えています。つまり、戦後の企業別労働組合のように、社会的・階級的な広い範囲ではなく、職場など狭い単位で民主主義を実践するという考え方です。大学には教員、職員、学生という階層性を持ったステークホルダー(利害関係者)が存在していますが、その全階層が一丸となって学長を選ぶということになったわけです。

――意向投票の無効化など、教授会の権限を弱めようとする文科省の動きに正当性はありますか。

 ステークホルダーの範囲として、学生と職員と教員に加え、大学の成果を利用できる一般社会も含まれると考えられます。ですから、大学が社会的使命を果たすよう、大学の外からチェックするような仕組みは必要です。文科省は、教授会ではなく(学長や理事で構成される)役員会に権限を持たせれば、それが達成できると考えています。しかし、役員会には一般社会の代表者として学外委員が含まれていますが、学生や父兄、職員の代表が含まれていません。そういったステークホルダーの声が反映されないようになっているのは問題です。

――教員らによる意向投票は存続するでしょうか。

 意向投票の存続は選考委員会の判断ひとつだと思います。ただ、選考委員会も教員のピア・プレッシャーを受けているわけですから、教授会での意見集約などを抜きに、簡単に決められないとは思います。

――今後、学生の意見はどのように扱われていくことになるでしょうか。

消費者からの苦情処理という形に近くなると思います。既に設置されているセクハラやパワハラのカウンセリングのような対応の仕方が、より精緻になっていくということですね。集団的な形ではなく、個人ごとに対応していくというものになるでしょう。それが私のいう「個的社会」の特徴です。

――学生が自治会などを中心に意見をまとめ、それをもとに大学と交渉していくという伝統的なやり方は、受け入れられなくなるということですか。

 全く受け入れられないということはないと思います。学生が意見を集約して提示した場合に、大学がすぐに「学生の言うことは聞けない」という態度を取るとは思えません。

 ただ、これは運動主体が機能していて成り立っていた仕組みです。もし自治会がその機能を果たせない状態だとすれば難しいですね。参考投票にしても少し文科省から指摘されたら「やめます」となってしまう恐れがあります。

 いま進められている「大学改革」では、大学が文科省から改革を突きつけられて悲鳴を上げているように見える。教員については、国立大学法人化以降、事務作業の増加と経費カットに悩まされているのが実情のようだ。高田名誉教授は、管理業務に追われて教員が多忙になりすぎてしまったのが、「最大の問題」ではないかという。

 対して、学生はむしろ自壊している。それはここ10~15年ほどの先輩が制度を受け継いでこなかったことの影響でもある。一方、現役の学生が、学生全体・学内全体の問題を自らの問題として考えなくなってしまったということが、大学をより一層息苦しくしていることの根源にある。もっとも、そうした「組織内民主主義」的な仕組みが弱まっているのは学生に限ったことではない。例えば労働組合の組織率低下が顕著なように、人々の個人主義化は世界中で進んでいると高田名誉教授は指摘する。

 だが、「時代の流れだから仕方ない」ですべてを済ませてよいのだろうか。

 他大学の学生と比べたとき、一橋生は比較的、自由な学生生活を謳歌している。そして無意識の間にも、独自の文化や伝統の恩恵を受けながら、学問・研究や課外活動を行ってきた。

 いま、その「自由」や「文化」、「伝統」という、一橋「らしさ」として存在してきたものが、音を立てて崩れ始めている。しかしその音は、多くの学生には気付かれていない。今年で大学は1875年の商法講習所開設以来、140年目を迎える。このまま「らしさ」が崩れ去ってしまうとすれば、その後に残るのは歴史から切り落とされた、これまでの一橋大学とは全く別物の何ものかとなってしまうのではないか。

 ただ、その「らしさ」がもはや、現代には適応不可能なほど古臭くて、守るべきほどのものでもないなら、すぐにでもこれを発展的に解消して新しい「らしさ」を打ち立てるべき時期なのかもしれない。それはそれで「らしさ」であるように思う。いずれにせよ、ほかでもなく学生が大学のことを真剣に考えて、行動しなくては始まらない。