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『魔の山』を題材に、自発的に考える 教養ゼミ担当教員・尾方一郎教授にインタビュー

 本学には少し風変わりな授業がいくつかある。そのうちの一つ、尾方一郎教授の教養ゼミナールをご存じだろうか。今回は、教養ゼミナールBの担当教員であり、ドイツ文学を専門にされている言語社会研究科の尾方一郎教授にお話を伺った。
尾方一郎教授。手に持っているのは小説『魔の山』
<授業編>
―教授の教養ゼミナールBの概要を教えてください。
 トーマス・マンという作家が20世紀のはじめに書いた『魔の山』(※)という小説を読んで議論してもらう、というものです。それぞれの授業で小説の該当箇所(一回につきおよそ百数十ページ)を読んで、レジュメを書いてきてもらいます。授業では、そのレジュメをもとに議論をします。
―この授業を通して、受講者に持ち帰ってほしいものは何ですか。
 『魔の山』はドイツ語版では1000ページくらいになり、日本語の岩波文庫版でも合計で約1200ぺージあります。そして、その分量もさながら内容としても壮大な作品です。そんな作品を読み切った、という体験をしてもらうことが第一の目的です。そして、この授業の特徴は、生徒同士での議論です。皆と議論することで、全く同じ小説を読んでいても読み方や感じ方は人それぞれ、ということに気づくと思います。そういった経験を、身をもってしていただければと思います。
ー課題図書として『魔の山』を選んだ理由を教えてください。
 『魔の山』は、まとまった体験をしてもらうに十分な内容をもち、あまり難しいことを考えずに読むことができて、20世紀の小説として十分な読み応えがある作品だと思って選びました。また、これまで同じ授業をやってきて受講した学生の評判が良く、私がドイツ文学の専門であるというのもこの作品を選んだ理由です。
―『魔の山』の魅力はどこにあると思いますか。
 こう言っては身も蓋もないですが、一言では言い表すことができない、というのが魅力だと思います。長編小説には、一つの大きなテーマがあってそれに従って話が進んでゆくというものがあります。それはそれで魅力的なのですが、『魔の山』の場合はメインの筋が何かということがはっきりとしない。いろいろなことが起きて、それをどう書き表すかの技法もさまざまです。同時代の政治問題や社会問題が描かれていると思ったらいきなり生物などの自然科学系の話が入ってきたりもする。とにかくいろいろなものが叩き込まれている、というところが魅力ですね。
―教授の教養ゼミナールでは今年の春夏学期に漫画「『あさきゆめみし』」を扱っていましたね。今期以外の教養ゼミナールではどのようなテーマを扱っていますか。
 書籍であればマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』や西郷甲矢人・田口茂の『現実とは何か』などを扱ったことがあります。本以外のテーマを扱ったこともあります。例えば、受講者それぞれが写真を撮ってきて、お互いの撮ってきた写真を見て語り合う、という授業をやった学期もありました。何か題材を置き、それをもとに討論をするというスタイルは変わりませんね。一方的に講義を聞くのではなく参加者が自発的に考える、というところにゼミの良さがあると思います。
―受講検討者に一言お願いします。
 後期ゼミだと、自分の専門分野をある程度システマティックに勉強することが多いと思いますが、私の教養ゼミは取り上げる対象に対して個人個人がどう思うかというところに主眼を置いています。内容としてはそこまで難しいことは要求していませんから、テーマへの興味がある人は気軽に受講していただければと思います。
 
<尾方一郎教授編>
―教授の専門分野を教えてください。
 先ほどもすこしお話ししましたが、専門はドイツ文学です。主に19世紀末から20世紀にかけての小説を研究しており、最近は『魔の山』の作者であるトーマス・マンについて論文を書くことが多いです。一口に「小説の研究」と言っても、その手法はさまざまです。私が最近関心を持って研究している分野は物語論というものです。小説は誰かしらの語り手によって成立するわけですが、その語り手や語り口について研究する分野です。例えば魔の山は「我々」という人称で展開していきますが、それも一つの工夫といえますね。
―ドイツ文学を専門にされた理由を教えてください。
 簡単に言えば、ドイツ文学には面白いものがたくさんあったからです。元からクラシック音楽と読書が好きで、文学の中ではドイツ文学が好きだったのですが、通っていた高校が理系志向だったこともあり大学は工学部に入学し修士まで行ったのですが、体力的な問題などがありエンジニアの仕事は自分には無理だと思いました。研究などで夜遅くまで大学に残る生活はとても続かなかったんですね。そこで以前から興味を持っていたドイツ文学に方向転換し文学部に学士入学して、助手を務めたのち、一橋大学に着任しました。着任の祝賀会で当時の学長だった阿部謹也先生の斜め前に座ってお話を伺ったのを覚えています。
―『魔の山』の他に、ドイツ文学でおすすめの作品はありますか。
 ドイツ文学には面白い作品がたくさんありますが、安定して在庫がある作品は少ないです。安定して手に入る作品で言えばゲーテの『若きウェルテルの悩み』やカフカの『変身』が面白いと思いますね。
 
(※)ドイツ人のトーマス・マンによる長編教養小説。1924年初版発行の本作はドイツ文学の最高傑作の一つに数えられる。主人公ハンスのサナトリウムでの体験を描く。