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新一万円札の顔・渋沢栄一 北海道に残る足跡をたどる

 今年7月3日に、20年ぶりに新紙幣が発行された。新しいデザインとなった紙幣を手に入れて、喜んだ読者も多いのではないか。この記事では、新紙幣発行について、加えて新一万円札のモデルとなり、本学の設立にも大きく貢献した渋沢栄一について、少し掘り下げてみたい。
 初めに、みなさんはなぜ新しく紙幣が発行されるのか、ご存じだろうか。今回の新紙幣発行は、84年、04年に続くものであり、近年では約20年ごとに紙幣刷新が行われていることがわかる。しかし、ATMや自動釣銭機、券売機などは、新紙幣発行の度に紙幣読み取りの更新作業が必要となり、その作業には多少なりともコストがかかってしまう。

新一万円札のイメージ(国立印刷局ウェブサイトより)

 それではなぜ、このような高い頻度で紙幣を刷新する必要があるのだろうか。一番の理由は、偽札の流通を阻むためである。人々が安心して現金を使い続けるためには、紙幣を含む貨幣全般への信用が必要不可欠だ。技術革新が進むにつれ、偽札製造が以前よりも容易になる中、それを阻むため、さらに新しい技術を用いて簡単には偽造されない強い紙幣を作ることが大切になる。加えて、ユニバーサルデザインにさらに配慮した設計を試みることも、新紙幣発行の理由の一つである。今回の新紙幣は、額面数字が従来の約5倍の大きさになっており、さらに、異なる額面の紙幣ごとに異なる凹凸マークを施すことで、触っただけで紙幣を区別することができる。

 ところで、紙幣、特に一万円札のモデルとなるような人物は、日本を象徴する偉人である。渋沢栄一が今回、そのようなモデルに選ばれたのはなぜだろうか。ここからは、栄一の活動の中心であった、東京や大阪などの既存の大都市ではなく、あえて「北海道」の地に残る栄一の足跡を調査したい。明治維新の際に、ようやく日本の領土として正式に編入された北海道と栄一の関係を探ることで、新たな視点から彼の偉大さを発見できるだろう。
 栄一が設立や経営に関わった企業は、北海道にもたくさんある。その分野は広く、サッポロビールのように酒を扱うものや、銀行、流通を支える鉄道や倉庫、繊維工場まである。調べだすと、北海道だけでもきりがない。明治維新頃の北海道は、初めて正式に国家の領土として組み込まれた段階にあり、また、隣国のロシアが南下政策を進めて北海道に接近しつつあった。このような中、明治政府にとって、北海道を開拓し、その基盤を盤石にすることは大きな課題であった。

日本銀行旧小樽支店。栄一は小樽の発展にも尽力した

 栄一は、一度は明治政府の役人として働いていたが、その後政府を去り、民間の資本家になった人物である。自らの利益のみを重視していれば、北海道開拓などといった、国家にとって重要な責務を伴い、大きなリスクを含む仕事は、普通なら避けたいであろう。しかし、栄一の偉大さは、自らの利益のためでなく、国家、ひいては北海道のためを思って近代化を進めていった点にある。また、よく「近代日本資本主義の父」と評される栄一だが、彼は財閥を形成しなかったことでも有名である。彼の資本化政策は自らのためではなく、常に国家や人々のためを思ってなされたことなのだ。  
 栄一の偉大さは、その優れた会社設立、経営の能力だけではなく、国や人々のためにそれがなされた、という点にあるのだろう。常に日本の行く先を思って活躍してきた偉人、渋沢栄一は新一万円札のモデルとしてまさに適任であるといえる。