2024年6月、大手住宅メーカーの積水ハウスは、翌7月に引き渡し予定であった国立市中二丁目に位置するマンション「グランドメゾン国立富士見通り」の解体を発表した。完成間近のマンションの解体は異例のことだ。事の発端は、同マンションが位置する富士見通りから眺めることができた富士山が、マンションによって遮られてしまったことである。積水ハウスの発表によると、「富士見通りの眺望を優先し、事業の中止と建物の解体を決定した」とのことだ。
この異例の事態は全国各地のニュースで取り上げられ、マンション解体の是非をめぐり、ネット上でも賛否両論が巻き起こった。本紙は、国立の枠を超えて多くの人々に衝撃を与えた同問題について、メディアより早い時期から注目し、解体の決定に少なからず影響を与えた竹内幹准教授(経済学研究科)に取材を行った。
ネット上では「積水ハウスの決定は市場原理に基づいた単なる経営判断に過ぎない」とする見方がみられる。このような見方が生じた一因として、竹内准教授のX(旧Twitter)での投稿が挙げられる。昨年末、竹内准教授は自身のXでの投稿において、マンション建設前後の富士見通りの景観を比較できる2枚の写真を載せ、マンションが富士山の眺望に与える影響を指摘した。竹内准教授が投稿した2枚の写真はSNSで拡散され、マンションを建設した積水ハウスに対する批判がみられるようになっていた。こうした経緯を受けて、積水ハウスは地元住民の声以上に、あくまでSNSを通じて広まった悪評が企業ブランドを傷つけることを懸念して、事業中止決定に至ったのだという指摘がみられるのである。
しかし竹内准教授は、積水ハウスの今回の決断の背景にある経済的利益以外の要因を強調する。
竹内准教授は「富士見と地名がついても富士山が見えなくなってしまった場所はたくさんあります。いまでも富士山がちゃんとみえる国立市の富士見通りは、一種の文化財です」という。
たとえば、東京都荒川区にある西日暮里富士見坂は、「富士見」の地名を持つものの、富士山が見えなくなってしまった場所の一つだ。ここは都心にあるいくつかの富士見坂のうち、地上から富士山の形がよく見える坂として有名で、国立市の富士見通りと同様に「関東の富士見百景」に選定されていた。しかし、2013年6月にマンションが建設されたことで、坂から富士山を見ることができなくなった。日暮里富士見坂を守る会など地元住民が眺望を守る活動を続けたものの、声は届かなかった。
竹内准教授は「文化財の価値や便益は、評価も集計もとても困難です。一方で、今回のようにそれを棄損して得られる金銭的利益は数億円単位ですぐに可視化される。しかし本当は、広く浅く享受される景観や文化財の価値と、建設会社とそこに入居する数世帯が享受するマンションの価値と、どちらが大きいかはすぐにはわからないのです。今回の決定については、積水ハウスさんが、会社の根本哲学に則って、最後は文化財を守る決断をしたという美談だと思います」と今回の解体決定を評価する。
積水ハウスのホームページによれば、同社は商品の開発や環境の創造を通して、顧客の役に立つこと・社会に貢献することを目指しており、「人間愛」の実践を企業の根本哲学として掲げている。こうした企業理念が、富士見通りの眺望に対する地域住民の声を聞き入れ、文化財を守るために事業を中止するという今回の異例の決断を後押ししたと考えられる。
結果として富士山が見える富士見通りの景観は守られることになったが、景観保護を求めた国立市や地域住民に対しては同調しかねる人もいるようだ。マンションが完成間近であったこと、すでに入居者が決まっていたこと、そしてマンションはあくまで国立市の法令などに即していたこと、それにもかかわらず解体に至ったということが大きな要因だと考えられる。実際に国立に足を運び、景色や雰囲気を体感したことのない人にとって、景観という文化財の価値を理解するのは容易ではないのかもしれない。今回の件では、積水ハウスの対応がかえって「国立は排他的で面倒な街」というイメージを世間に印象付けてしまったように思える。
実は国立の景観問題が取り沙汰されたのは今回が初めてではない。国立市では20年余り前、大学通り沿いに建設された14階建てのマンションをめぐり、周辺住民が美しい街並みの景観が損なわれたと主張して不動産会社を訴えた裁判があった。この裁判は2006年、最高裁判所が「街並みの景観は周辺住民にとって法律上保護に値するものだが、マンションが当時の法律に違反していたとはいえない」と判断し、周辺住民の逆転敗訴が確定。裁判で建設の差し止めなどを求めるには法律違反や社会的に認められないような明確なルール違反が必要だという判断を示した。(国立マンション訴訟)
国立市都市景観形成条例(以下、景観条例)は、「文教都市くにたち」にふさわしい都市景観を貴重な財産として守り、発展させていくことを目的に制定されている。その中で市民と事業者が都市景観の形成に積極的に参加し、市の施策に協力することが求められている。
20年前の大学通りのマンションが当時の法律に従っていたように、今回の富士見通りのマンションも景観条例を満たしていた。それにもかかわらず、どちらの事例でも「大切にしていた景観が損なわれた」という認識が住民の間に確かに存在している。法律を満たしているならば、景観に影響を与える建物だろうと地域住民は建設を容認せざるを得ないのだろうか。景観を重んじる国立が移住者や不動産業界に近寄りがたいイメージを与えてしまうのはやむを得ないことなのだろうか。
しかしながら、最後に竹内准教授は次のように述べている。
「男性育児休業完全取得をいち早く推進していたように、積水ハウスは時代の先を見て動いているようです。景観を守ったという異例の決定もいずれ世間が理解する時がくるはずです。例えば、環境保護、女性総合職、職場での分煙・禁煙、育児休業などがナイーブな理想論とされた数十年前を思い起こせば、そのことは容易に理解できます。いまは当たり前になりつつあることでも、提唱された当初は世間に理解されず、『そんなことをしていては…、経済が回らない、企業活動に差しさわる、仕事にならない、実情に沿っていない』などと言われたものです。しかし、時代の変遷とともに、そうした批判は時代遅れのものとなっていきました」
今回の事態は、地元住民の意見や積水ハウスの思惑だけでなく、SNSを中心としたメディアを通して形成された国立市外部からの声など様々な要因が複雑に絡み合って形成された。積水ハウスの異例の判断は、ときに既存の常識と衝突しうる景観という文化財の保護の在り方が、どうあるべきか模索していく過程において生じたものといえるだろう。