昨年10月に実施された衆議院議員選挙では与党が過半数を割る事態となった。さらに、昨年末には韓国の尹錫悦大統領(当時)が戒厳令を発し、弾劾訴追後の弾劾裁判で罷免されるに至った。アメリカでは、今年の1月に第2次トランプ政権が発足し、世界各国に次々と高関税をかけている。このように国内外の政治情勢が大きな変動を見せる中、日本では7月に参議院議員選挙を迎える。
こうした状況を受け本紙は、本学OBであり、立憲民主党に所属する現職衆議院議員の末松義規さん(昭55商)にインタビューを行った。
――本学での思い出を教えてください。
最初は公認会計士になりたくて、商学部に入学しました。しかし、簿記や監査について勉強していくにつれて、自分には向いていないと感じて外交官志望に転向したんです。
それで、ゼミも国際法ゼミに入りました。英語の山川喜久男(※1)ゼミに所属しながら、そこを通じて国際法の皆川洸(※2)ゼミにも入りました。だから、卒業は商学部なんですが所属していたゼミは法学部だったんです。
また、3年から外交官試験を目指し始めました。受験者が1200人ほどで、その中から30人弱しか受からない狭き門でした。10カ月間毎日平均5時間程度勉強して、幸運にも合格をつかみ取りました。
――勉強面以外で学生時代、印象に残っていることがあれば教えてください。
印象的だったのは、3週間かけて一人で東北を一周する自転車の旅に出たときのことですね。福島で泊まろうと思ったんですが山の方に入ってしまってホテルがなかったので、仕方なく夜通しで走ることにしました。
明かりのない中、走り続けたんですが、夜中の2時頃に首に巻いていたタオルが突然ほどけてしまい、取りに戻ろうと振り返ったら、赤い背景に黒字で「死亡事故現場」と書かれた大きな注意板が目に入ったんです。その直後、走りながら、背中のあたりにじわりと生暖かい感覚がして、地縛霊に取りつかれたと感じました。そこから必死に自転車をこいで、朝になって薄明かりが出てきたときに、とてもほっとしたことを覚えています。
――なんだか怖くなってきました。もう少し詳しく聞きたいところですが、話を進めて、大学卒業後の外交官時代の思い出を聞かせてください。
外務省で働き始めたときのことです。入省直前に専攻する外国語を選択しなければならないのですが、アラビア語をやらされることになって。私は大学で中国語を学んでいたのに、アラブ地域に行くことになったら自分の人生が傾いていくと思ったので、人事課長(※3)には最後に泣き落としに行ったんですよ。そのとき、「僕は気が弱いので、アラブ人との交渉なんて無理です」と言ったら、「私は『鬼の藤井』で通っている。そんな私を前に2時間も粘るような男を気弱とは言わせない!」と言われてしまいまして「一本取られたな」と思い、了承しました。
それを見ていた同期の連中から、「成功の見通しが立たないことでも一筋に頑張る」という意味で、私の必死で粘る行動を「すえまつる」とやゆされました。今もSNSの投稿で「すえまつる」というワードを使っているんですが、このときの経験が元になっているんです。
――その後外務省を辞めて衆議院議員になるわけですが、政治家を志したきっかけは何ですか。 1991年にイラクで「湾岸危機」(※4)が起こった際、私は外務省でイラクに関わる業務に携わっていました。そのときに官僚や政治家はアメリカからの命令に平伏しているばかりで、「日本はアメリカの植民地だな!」と感じたんです。そのときの体験から、日米地位協定を改定することで、アメリカと対等な外交ができるようにしたいと考えました。
湾岸危機の対応による忙しさから解放された1年後に、辞表を提出して政治家の道を目指しました。退職金が少なく、子どもも3人いたので、とにかく資金が足りなかったんです。それで、友人に借金をしました。初めて臨んだ選挙で当選を勝ち取ることができたのですが、あのとき勝てていなかったらどうなっていただろうと思います。そして2022年には、立憲民主党の外交・安保調査会長として、日米地位協定改定案を作成しました。
――現在、トランプ政権下で外交が新たな局面を迎えています。かつて外交官も務めていた末松議員から見て、わが国の外交上の課題は何だと思いますか。
今の日本は、アメリカに追従して独自外交ができない状態になってしまっています。日本人としての誇りを持ちながら、バランスの取れた、自主独立した外交を目指すべきだと思います。
現在、中国の発展はめざましく、隣国でもあるため到底ないがしろにできる存在ではありません。その一方、中国の支配を受け入れるわけにもいかない。
近年、「台湾有事」が取り沙汰されますが、実際に台湾に行ってみると、台湾有事が起こると考えている台湾人はほぼいないんですよ。中国からすれば、熟し柿のように台湾は放っておいても手中に収められるのに、わざわざ軍事侵攻をする理由はありません。台湾有事を声高に叫ぶのは、利益をもくろむアメリカの軍需産業です。日本はそれに踊らされてはいけない。
もし本当に台湾有事が起こった場合に、日本がアメリカと軍事的に協力していたら、当然、中国は日本を敵国と見なすでしょう。また、日本が中国に報復措置を行った場合には、中国はさらなる報復で、原発攻撃をはじめ日本に壊滅的な攻撃を行うでしょう。そうならないようにするため、日本は最大限の外交努力をするべきです。
――末松議員は立憲民主党の中でも減税派だと思いますが、今夏の参院選に向けて、減税政策について末松議員の考えを聞かせてください。
年金が下がっていき、値上げラッシュで物価高に苦しんでいる中で、国民生活を安定させるためには消費税を下げて物価高を止めることが必要だと考えています。その代替財源としては、大企業への超過累進課税などを強めていくべきだと考えます。
安倍晋三政権下では、租税特別措置や大企業にかかる法人税の負担を減らし、国民に対しては消費税を上げる政策がとられてきました。そうではなくて、超大企業や、投資などの不労所得で多額の利益を得ている層、つまり庶民生活を営んでいる層とは違う人たちについては、税金をより多く納めていただく。それによって消費減税に必要な財源を確保しながら、経済格差を是正して分厚い中間層をつくることができます。これは、経済格差を縮小していくことを目指すという点でとても立憲民主党らしい税制だと考えています。
現在、立憲民主党が参院選に向けて公約にしているような「食料品のみ1から2年間消費税ゼロ」も良いですが、やはり私自身は、5年間一律で消費税を5%にすべきだと考えています。
ともあれ、立憲民主党としては消費減税を通して物価を下げることで、現役世代や年金世代を含めた幅広い支持を得られることを期待しています。
――末松議員の選挙区でもある国立市のこれからの姿について、考えを教えてください。
国立市は文教都市ということで、一橋大学を活用した改革を進めていくことも重要だと考えています。実は大学にある全ての門を市民に対して開放するというアイデアがあって、国立市長の濵﨑真也さんとも協力しているんです。中野聡学長も交えて進めていきたいです。
――ここまでは、末松議員の経験や政策ビジョンについてお聞きしてきました。では次に、本学学生へのメッセージをお願いします。
学生時代には、自分自身と対話するために、一人で海外旅行に行ってみてほしいです。友だちやツアーガイドの人がいると、どうしても頼ってしまうので。日本にいるだけでは見えないものを見てほしいんです。海外に行ってみないと分からないことってたくさんあるんですよ。
それと、アルバイトは塾講師のような教育系の仕事だけでなく、世の中の構造を知るために、さまざまな業種にチャレンジしてみてください。とにかく大学生の間しかできない自由な経験をいろいろしてみるのがいいと思います。社会の多様な側面を捉えきれていないというのが一橋大生の弱みだと思いますので。
――政治に興味がある学生へのエールがあればお願いします。
一橋は「キャプテンズ・オブ・インダストリー」というキャッチフレーズが示すとおり、経済界に多くのリーダーを輩出していますが、もう少し政界や官界に進出する人が増えてほしいと思っています。今の社会は政治と経済が密接に絡み合っているわけですから、一橋からこそ政治の世界の門を叩いてほしい。
政治家の魅力は、普通の人では話を聞くことができない方の声も聞けることです。例えば、ホームレスの人に話を聞きに行けるのは、基本的には政治家とジャーナリストだけです。サラリーマンの人が「どうしてホームレスになったんですか」と聞いても、「なんであなたに言わなければならないのか」と拒否されてしまう。けれど、政治家、あとはジャーナリストに対しては、厳しいコメントかもしれませんが、答えてくれるんですよね。
――政治の世界に進む上では、どのような意識を持つべきだと考えますか。
高校までの勉強は、あくまで教科書の暗記にすぎません。ですが、政治というのは現実に起きている生の事象を扱う世界です。もちろん本などを読んで知識を深めることは大事ですが、自分自身で体験を積んでいくことが何より重要なんです。
これは私の体験ですが、外務省で仕事をする上で外交関係の本を読んで勉強すると、改憲によって、強大な軍事力を持つことで外交を有利に進めるべきだという考え方になりがちなんですね。
ですが、実際に現地に赴いて強烈な戦争体験をした私は、戦争のむごたらしい光景を目の当たりにした瞬間、「日本人をこんな悲惨な戦争に落とし込んではいけない」「そのために、憲法9条をなんとしても守らなければいけない」という思いが体中を駆け巡ったんです。全身に電流が走ったような感覚でした。
繰り返しにはなりますが、こうした体験からもやはり、学生時代にはさまざまなアルバイトをしたり海外に行ったりして、生の体験を積んでほしいですね。その上で、多角的な視点から物事を捉えられるようになってほしいです。
〈語注〉
※1:山川喜久男(やまかわ・きくお)。1919~82。本学名誉教授。英語文法に関する研究を行い、『新英和中辞典』(研究社)の編さんにも携わった。
※2:皆川洸(みながわ・たけし)。1920~84。国際法を専門とし、本学法学部長も務めた。84年旭日中綬章。
※3:藤井宏昭(ふじい・ひろあき)。1933~。後述の「鬼の藤井」にあたる人物。1994年から97年まで駐英大使を務めた。
※4:湾岸戦争のこと。1990年にイラクのサダム・フセイン政権がクウェートに侵攻したことを受け、翌91年にアメリカを中心とする多国籍軍がイラクに空爆などを行い、壊滅的な被害を与えた。
〈プロフィール〉
すえまつ・よしのり
衆議院議員(東京19区)。1956年、福岡県生まれ。80年に本学商学部を卒業後、外務省に入省。94年に同省を退官し、96年の衆院選で民主党(当時)から出馬して初当選。2009年から12年までの民主党政権では、内閣府副大臣や復興副大臣などを歴任した。現在は立憲民主党所属。当選8回。