紫綬褒章を受章した佐藤主光経済学部長

 今年、経済学部の佐藤主光学部長が紫綬褒章を受章した。紫綬褒章とは、学術分野において優れた業績を挙げた人などに授与されるものであり、受章は大変な栄誉とされている。本紙は、佐藤学部長に学生時代や研究者人生について伺った。

紫綬褒章を受章した佐藤主光経済学部長

――紫綬褒章受賞おめでとうございます。ご感想をお聞かせください。
 なぜ受賞できたか、これといった理由は分かりません(笑)。
 ただ、一つ思い当たることがあるのは、これまで私が「いかに学術的知見を政策の現場に繋げるか」に腐心してきたということです。学術的な面と現実の政策の現場の両方をみてきたことが評価されたのかもしれません。

――先生は秋田のご出身ですね。本学に進学されるにあたって上京された当時、どのようなお気持ちでしたか。
 私には双子の弟がいます。彼は同じ年に東京大学に進学しました。弟と二人で上京して同じ部屋に下宿しました。偶然ですが、下宿先の大家さんが秋田のご出身だったこともあり、あまり心細さは感じませんでした。むしろ、東京という都会の物珍しさに期待する気持ちが大きかったです。

――本学で印象に残っている授業、先生はいますか。
 石弘光先生(後に一橋大学学長、政府税制調査会会長を歴任)ですね。彼は私が研究者になるきっかけを作ってくれた先生です。石先生の財政学の授業は面白かったです。今の私の授業は石先生の口調もまねているところもあるのです(笑)。石先生は講義で計算を間違えたりすることがありました。でも、石先生が言うとなんだか納得してしまうのですよね。それで後で見返したら「やっぱり違った」なんてこともありましたね(笑)。先生は時間に厳しい人でした。その影響で、私は今でも時間をしっかり守るようにしています。全体的な印象として、当時の先生方は各々の好きなことを好きなように話してくださいましたね。系統立った授業ではなかったかもしれませんが、その分刺激的なものがありました。今は積み上げるように系統立てて教えなくてはいけないという風潮が強くなっていますね。それが本来のあり方かもしれませんが(笑)。

――先生は元々研究者になろうと決めていらっしゃったのですか。また、研究者になるきっかけは何でしたか。
 もともと何になりたかったかは覚えていませんね(笑)。ただ、2生の時に石先生の前期ゼミ(現在の基礎ゼミ)にはいったことの影響は大きかったです。当時財政学の第一人者だった石先生の授業を受けて経済学・財政学に興味を持ったこと、そして石先生から「大学院に来ないか」と誘われたことが研究者になるきっかけでした。ただ当時はバブル経済だったので将来への見通しが今より楽観的で、「大学院に行って必ず研究者になる、というわけではなく「とりあえず経済学の勉強を続けてみよう、就職はいつでもできる」という思いで大学院に進学しました。

――留学時代、カナダではどのようにお過ごしだったのですか。
 片道切符状態で、「学位(博士号)が取れなかったら日本には帰れない」という思いで日本を後にしました。必死に勉強したというわけではありませんが、真剣ではありました。最初の一年間は、言葉の問題もあってかなり勉強に専念しましたが、留学生活も後半になってくると友達もできてきて、毎週金曜の夜に飲み会を楽しんだりもしました。クイーンズ大学はキングストンという観光地としても有名な街にあります。国立みたいに小さな街なのですが、美味しいレストランや酒場がたくさんあって良い街でしたね。

――研究職に進む学生は少数派ですが研究職に進むという決断をする時に不安などはありましたか。
 今も昔も修士課程に進む学生は少数派ですね。私の時代は今よりもっと「修士課程進学=博士課程にも進学」という考えが強かった気がします。ですが、この道に進むにあたって、あまり不安はありませんでした。これには「石先生のようになれば良いんだ」というはっきりとしたモデルがあったことが影響しています。完全にその人のようになるということは不可能ですが、「こうなれば良いんだ」というロールモデルを持っておくことは、未来への不安を和らげてくれますね。

――研究者になってよかったこと、予想に反したことはありますか。
 私は割と個人主義タイプの人間なので、このような仕事は向いているかもしれませんね。自分の部屋が与えられて、自分の好きなように時間を使えるわけです。ただ、それは「自分で時間をコントロールしなくてはいけない」ということでもあります。私は石先生の訓練を受けているのでうまくやっています(笑)。若い人と関わる機会が多いのも魅力かもしれません。気持ちが若いままでいられますよね。研究面で当初の想定に反したこともありました。もともと私は学術一筋の研究者になるつもりでしたが、石先生をはじめ当時の上司に連れられて政策の現場を多く経験してきたことから、政策的な研究もするようになりました。

自由のある研究者生活が好きだと語る

――研究者として歩んでこられて、何か転換点はありましたか。
 小泉内閣の構造改革で地方分権化が進んだことは転機でした。一般的に「理論屋」と言われる経済学者は現場の制度に疎く、欧米的な議論を展開してしまいがちですね、かといって制度に詳しすぎる人は経済理論が説明できなかったりします。そんな中、私は地方への補助金という具体的制度と、ソフトバジェットという一見抽象的な理論を繋いだのです。これが『地方交付税の経済学』という本になり、日経・経済図書文化賞を受賞しました。「理論は理論、現実は現実なのかな」と思ってしまうこともありましたが、それまで私が研究していた理論が現実の場で使えるということがわかり、自信がつきました。この時期は転換点と言えると思います。

――最後に、学生に一言お願いします。
 将来を見通すことは大切です、ただ足元をおろそかにしてはいけません。よく学生に言っているのは「チャンスはチャンスの顔をして訪れない」ということです。難しい授業、厳しい状況、これらが自分にとっては何かを得るきっかけになっているかもしれない。私がカナダの大学に行ったのはアメリカの大学に落ちてしまったからです。ただ私があの時カナダに行っていなかったら私はこの大学に帰ることはなかったと思います。「人生万事塞翁が馬」とも言えますね。とにかく今あることに一生懸命になることが大切ですね。人から頼まれたことは断らない、宿題はちゃんとやろう、とかですね。10のうち9の宿題、授業、課題図書はつまらないかもしれない、ただその中に一つ自分が興味を持てるものがあるかもしれない。今自分に与えられていることに真摯であることが未来への道を開くのだと思います。