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OBOGインタビュー企画 「いきものがかり」水野良樹さん

  今年度の一橋大学入学式にて、音楽ユニット「いきものがかり」のリーダーで、本学の卒業生である水野良樹さん(平14社)が、新入生に向けた祝辞を述べた。本紙は、音楽業界へ進み、そこで大きな成功を収める本学OBの水野さんに、学生時代の思い出や入学式の式辞への想い、一橋生に向けたメッセージを語ってもらった。

本年度入学式のゲストスピーカーとして登壇した登壇した水野良樹さん

――水野さんの簡単な生い立ちとご経歴を教えてください。
 地元の神奈川県海老名市で高校まで過ごした後、都内私立大に通いながら“仮面浪人”をし、一橋大学の社会学部に入学し、2006年に卒業しました。大学時代は、高校の同級生と組んだ「いきものがかり」の路上ライブをやっていました。その後は、大学卒業と同時に、メジャーデビューをしました。そこから、CDを作ったり、ライブ活動を通して生活をしてきました。デビューから18年経った今は、「いきものがかり」の活動と並行して、他のアーティストの方に楽曲提供をさせていただいたり、個人的に色んな分野の方にお話を伺ったり、一緒にものをつくる「HIROBA」という活動もしています。「清志まれ」という筆名で小説も何冊か出すなど、執筆活動にも取り組んでいます。

――なぜ一橋大学社会学部を志望したのでしょうか。
 高校時代に、どういう学校のどういう学部に行こうかな、と悩んでいた時に、社会学という学問はなんでもできるんじゃないかな、社会のことを俯瞰する学問なのかな、というぼんやりしたイメージで志望校を選択しました。国立の大学では、社会学部という名前が付いた学部がある学校は当時そんなに多くなくて、お恥ずかしいですが、国立大学の偏差値ランキングの一番上の方に一橋大学がありまして、いい所っぽいなと思い志望したのがスタートラインです。当時、それを周囲の友人たちに言ったら「お前の学力じゃ絶対できないだろ」と笑われたくらいです(笑)。
 ただ、ちょっとずつ調べていくと、ゼミが少人数で行われていることや文系の学部が集まっていることから、少人数で密な授業ができるというイメージが生まれました。あと、大学のパンフレットを覗くと、国立の素晴らしい風景や、兼松講堂など、すごく雰囲気があったので、そこに憧れて「一橋大学に頑張って行こう」と思うようになりました。

――大学生活やサークル・ゼミの思い出を教えてください。
 2年生くらいから「いきものがかり」のインディーズ活動に本格的に打ち込み始めました。ライブハウスを巡ったり、レコード会社や芸能事務所の人たちと関わるようになったり、将来を見据えた活動が始まっていたので、そこの生活と学内の生活を同時に車輪として回していく生活でした。僕は実家の海老名から国立まで2時間くらいかけて通学していたので、それが大変だったという印象が強くあります。
 クラスに関しては、社会学部の学生だけでなく、商学部、経済学部、法学部などで全然違うことを学んでいる友達たちがいたので、自分が取り組んでいた音楽以外にもビジネスや法学など、物事への様々な視点があることを知ることができました。それが一橋の学生生活の中で、すごく大きかったです。
 ゼミは、労働経済学の依光先生(※1)でした。僕らは依光先生が定年退官される年の最後の生徒だったので、すごく優しくて(笑)。卒論も「どういう分野でも構わないから、自分の好きなことをやりなさい」と言われました。その頃には、音楽の仕事をするということはある程度固まっていたので、音楽配信が増えていくことによって音楽産業がどうなるのかをテーマに卒論を書きました。その後デビューして、実際に音楽産業に入っていく中で、予備知識をつける上では、これはすごく大事な時間だったなと思うので、自由にやらせていただいてよかったです。

――大学時代の経験は水野さんの音楽性にどのような影響を与えたのでしょうか。
 アーティストと言われると、自分のメッセージを前面に押し出してしまいがちなんです。社会学の勉強を通じて、複眼で物事を見るという視点を学んだので、不特定多数の人に楽曲を届けるという職業の宿命からすると、これは非常にプラスに働いたと思います。また、社会科学概論という授業で町村敬志先生(※2)がおっしゃっていた「社会科学を学ぶ大前提として、当事者性の視点を忘れてはいけない」という趣旨の発言がすごく印象に残っています。歌詞をつくっている時、僕自身の倫理観や価値観をどんなに削ぎ落しながら曲を書いたつもりでも自分固有の見方って残ってしまうんです。ここをちゃんと踏まえないと、歌詞が持つメッセージが非常に偏ったものになってしまう。こうしたところで、先生の発言には、影響を受けました。
 授業を担当された先生が様々な参考文献を提示しながら、なぜ他者を殺めてはいけないかという問いを考えていく倫理学の授業も印象的でした。受験までの勉強はある程度答えがあって、それに対して正解か不正解かという勉強の仕方だったのが、大学に入ると、答えが固定化されていない問いについてずっと考え続ける勉強の仕方を学びました。答えが固定化されていないのは、社会も音楽も同じです。これは社会人として生活していく上でも、音楽に向き合う上でもすごく大事な認識だったなと思いますね。

――今年度の本学入学式で、式辞を読んでいただきました。どのような思いで述べられたのでしょうか。
 話長いって思われてないかなとドキドキしながら(笑)。当たり前なんですが、学生の皆さんが主人公になれるような、ご自身に重ね合わせられることを言えたらいいなと思いながら喋っていました。個人的には、まさか自分が入学式に兼松講堂で言葉を述べさせていただく機会をいただけるなんて思っていなかったので、非常に感慨深い気持ちで壇上に立たせていただきました。

――学内や国立の街で思い出の場所はありますか。
 やっぱり大学通りの桜並木ですね。僕は後期試験で入学したんですけれども、合格発表が大学の掲示板に貼られているのを見に行った世代なんです。その年が、たまたま桜が咲くのが例年より早くて、発表当日が満開だったんです。もちろん国立の桜並木を見るのはその日が初めてでした。試験の手ごたえがなくて、「どうせ受かっていないだろうな」という悲壮めいた気持ちで大学へ向かいました。そこで人生で初めて国立の満開の桜並木を目にして、受験の合否結果に関係なく、凄く報われた気がしました。結果的に受かっていたのですが、自分の受験番号を見つけた時は現実に思えなくて(笑)。どこかのベンチに腰掛けて、桜の並木を眺めながら母親に電話したら、母親が泣いていて、すごく人生のタイミングとしては印象に残っています。こじつけるわけではありませんが、僕らのデビュー曲が「SAKURA」という曲で、これは神奈川の地元の桜をイメージしたものでもあるのですが、自分の中では国立の桜も意識しています。

水野さんが思い出に残ると話す桜並木

――最後に、一橋生へメッセージをお願いします。
 自分も多分、学生の頃に20歳くらい離れた人に「今の時間は貴重だよ」と言われたら「そんなこと言われても」と思っていたと思うので何も言えないですが、やっぱり大学で過ごす時間って貴重だと思いますね。でも、みんなが同じ楽しさや苦しさを共有していないわけだし、人それぞれ、人生って全然違う。「学生だからこうでなきゃいけない」とか「若いからこうあらなきゃいけない」ということに囚われないで、自分にとって大切なものを自分で判断しながら前に進んでいくのがいいんじゃないかな。その時々で一生懸命やっていると、意外と失敗しても納得できたりするのかなと思うので、貴重な大学生活、頑張って楽しんでいただけたらと思います。
      

(※1)依光正哲(よりみつ・まさとし、1942~)本学出身の経済学者。社会政策や人口・外国人問題が専門。本学名誉教授を務めた。

(※2)町村敬志(まちむら・たかし、1956~)社会学者。専門は都市社会学。本学名誉教授を務めた。

水野良樹(みずの・よしき)
 ソングライター。1982年生まれ。神奈川県出身。2006年一橋大学社会学部卒。同年にいきものがかり「SAKURA」でメジャーデビュー。作詞作曲を担当した代表曲に「ありがとう」「YELL」「風が吹いている」など。グループの活動と並行して、ソングライターとして様々なアーティストに楽曲提供を行うほか、雑誌・新聞・ウェブメディアでの連載執筆など、幅広く活動している。2019年には自身のプラットフォーム「HI ROBA」を立ち上げ、多彩なアーティストとコラボしている。 2022年には清志まれの筆名で小説家デビューを果たした。