入学式の式辞などで目にするが、どこか遠い存在に感じてしまう、大学の学長。そんな学長のことをより知ってもらうべく、一橋新聞では中野聡一橋大学長(昭58社)にインタビューを行い、自身の大学生活を振り返りつつ、新入生に伝えたいことについて、お話を伺った。
──簡単な生い立ちとご経歴を教えてください。
私は1959年(昭和34年)の東京生まれでして、父親が厚生省の役人だったので、高校生くらいまでは都内の官舎をあちこち移動しながらの生活を送っていました。高校は都立戸山高校でした。高校卒業後、早稲田大学法学部に1年間在籍しながら受験勉強を続け、1979年、一橋大学法学部に入学しました。
──一橋ではどのような学生時代を過ごされましたか。
学部生の最初の2年間は、小平分校でのんびりとした学生生活を送っていました。文芸部に所属はしていたものの、あんまり参加はしていなかったです。
部活としては、私は学内ではなく学外の俳優養成所へ通っていました。俳優になりたくて通っていたのではなく、演出家になりたくて通っていたんですね。学部の後半は、こちらの活動に力を入れていました。演出助手として、売れない役者たちのお芝居の手伝いなどをしていました。芝居仲間で揉め事が起きて間に立たされたり、現場でプロの方に怒られたりと、学内では経験できない様々な体験をすることが出来ました。
ゼミについてなんですけども、私たちの頃、小平分校時代の前期ゼミでは、どの学部の先生のゼミも選べました。私は経済学部の外池正治先生のゼミに入りました。
3年生になると後期ゼミが始まるんですが、法学部に入った時から、法律家になるほど勉強好きではなかったこと、もともと法学部の国際関係コースに行くつもりだったこと、社会学部の新任の油井大三郎先生の評判が良かったこともあり、油井先生のゼミに参加しました。ゼミでは国際関係史など、法学部の国際関係コースと似ていることをやっていたので、法学部の所属でしたが、違和感なくやっていました。
授業に関しては、ゼミが社会学部だったので、社会学部の特に歴史学の授業を多めにとりましたね。法学部の授業ももちろんとっていました。国際関係のある科目を除いて全部A評価だったりもしました。
学生時代に一生懸命取り組んだこととしては、学外では芝居、学内ではゼミを中心に色んな調べ物をしたことが挙げられます。ゼミでの勉強も面白く感じたので、大学院に進学することにしましたね。
──ご自身の学生時代を踏まえ、新入生にはどのような大学生活を送ってほしいでしょうか。
今日の学生は、1年生のときから、明確な目標を持って具体的かつ様々なことに取り組んでいる印象を受けます。
しかし、無理にそんなことをしなくてもいいのではないかとも思います。学生時代、もっと試行錯誤して、道に迷ってみてもいいのではないでしょうか。こんな経験が出来るのも、大学生時代だけなのですから。
そういう意味では、学生の皆さんには、ぜひとも本学の広報誌であるHQウェブマガジンを見て欲しいと思います。そこでは、多分野で活躍する卒業生たちが様々な話をしているのですが、大学時代の何が今日に結び付いているのかも語っています。学生時代の失恋とか失敗とか、そういう色んな経験を経て身に付くこともあるんです。色んなことに挑戦して人間力を磨いて欲しいですね。
──高校生活と大学生活を比べ、異なる点は何だと思いますか。
今の高校がどのような状況なのかわからないので、なんともいえないのですが、今の高校は、アクティブラーニングなどを取り入れていて、大学のゼミのグループワークと非常に似たことをしている。そういう意味では、今の高校と大学は繋がっているように感じますね。自分の頃の高校は一方的な授業形態が多かったから、大学に入ると、高校と大学の授業形態の違いを実感しましたね。
でも、どんな建前的な話をしても、やっぱり高校は大学受験が目標のうちの一つになっていて、既に決まっている正解を目指すことが求められていますよね。大学ではこういうのはまったくなくなる。大学の講義とかも、まったく正解のないことを扱っている。そんなオープンエンドな学びこそ、大学で求められているものだと思いますし、社会もこれは一緒ですよね。社会も正解があって、営まれているものではない。そういう分野を伸ばしていくのは、大学ならではなのかな。
──新入生に伝えたい、一橋の魅力とはなんでしょうか。
これは決まり文句で、卓越したコミュニティです。
本学のちょうどいい規模感がいいんだと思います。本学には、友達の友達は、みな友達だという言葉もあります。友達の友達で、だいたい一学年の千人まで到達する。学生だけではなく、教職員や卒業生、地域のみんなが一丸となって、魅力的なコミュニティを造っている。これが何よりの魅力ですね。
あと、母校愛も強い。良い想いをして卒業している人が多いものと思われますね。卒業生同士の「君、一橋?」といったところで生じるコミュニティ感がいいみたい。ちょっとした秘密結社みたいなね(笑)。そういうコミュニティ感、しかもこれが卓越しているところが、一橋の魅力ですね。
──学内や国立地域でお気に入りの場所はありますか。
学内の好きな場所としては中央図書館の書庫です。学生時代からの、思い出の場所ですね。中には物凄く古い資料もあるし、古書特有のかび臭い臭いがして、あんまり人もいない。ワンダーランドのような感じです。
あとは、いしぶみの会の碑ですね。佐野善作さんという、本学が国立に移った際の学長の屋敷が、現在はゲストハウスとして用いられていて、そこのお庭に碑が建っています。
もうちょっと身近なところでいうと、私の研究室の国際研究館は、マーキュリータワーの近くに位置しているのですが、研究館の前にある桜の木が、早咲きなんです。多分枝垂れ桜という種類なんですけども、咲くのが早いんですね。卒業式の頃に満開になるので、式後にはいつもそこで写真を撮っています。
国立は私も長いので色々あるのですが、谷保天満宮とか、甲州街道の向こう側とかを良く散策します。きれいな湧き水がある場所¹があるなど、とてもいいところがありますので、ぜひ散歩してみて欲しいですね。
国立の好きな飲食店としては、やっぱり私の学生時代から、みんなロージナ²には行っていましたね。ロージナで、ゼミの勉強会をやったりもしました。あそこも全然昔から変わらないですね。
あと、今は工事中だけど白十字とかも昔からある。
飲み屋とかは変化が激しいですね。最古の居酒屋チェーン店³も、旭通りの方にある。これも旭通りだけど、無国籍料理屋の共和国⁴も古いよね。そういう店には、昔からよく行っていました。
旭通りの端にある、三幸っていう油そば屋さんにも行きました。でも色んなお店が閉じていて、淋しいですね。
──最後に、新入生に向けて一言お願いします。
来年、本学は創立150周年を迎えます。新入生の皆さんには、ぜひとも本学の次の150年を担って欲しいと思います。昨年の卒業式で述べたのですが、50年くらいのスパンで考えて欲しいという考えがあります。卒業して50年となると、だいたい70代前半。これは、企業の社長が退職したあたりの年代であり、そういった大先輩が、入学式・卒業式で、50年後に自分と同じように祝辞を述べるだろう後輩に向けて、祝辞を述べているわけです。そのスパンが、ずっと続いている。その連続性も、本学の凄さの一つですよね。次の150年を担う気概を持って、まずはこの大学生活をエンジョイして欲しいなと思いますね。
¹ママ下湧水公園を中心に、谷保は綺麗な湧き水で著名。
²ロージナ茶房のこと。
³庄や 国立店のこと。
⁴2023年春に閉店。跡地には現在、スポーツバーが入っている。
中野聡(なかの・さとし)
1983年一橋大学法学部卒業。1990年一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学。1996年博士(社会学・一橋大学)。研究分野は地域研究、アメリカ史、フィリピン史、日本現代史。1990年神戸大学教養部専任講師、同大学国際文化学部専任講師、助教授を経て、1999年一橋大学社会学部助教授、2003年同大学大学院社会学研究科教授を歴任。2014年同大学大学院社会学研究科長、2016年同大学副学長を経て、2020年一橋大学学長に就任。