本年度の一橋祭で講演会を行った矢野康治氏(昭60経)に、本紙は独自インタビューを行った。官僚を目指し始めた学生時代から事務次官時代までの官僚人生や、近年の財務省や政治について思うことを語ってもらった。
矢野氏の官僚志望の源には、下宿時代の先輩からの影響と荒ゼミでの学究があると語る。矢野氏は本学入学後、下宿先の先輩らによるディスカッションに圧倒されることになったが、その先輩の一人が滝本徹氏(昭58経)であった。矢野氏は次第に滝本氏含む先輩らに憧れを抱くようになり、滝本氏が「大蔵省(現財務省)に入る」と公言すると、自らも次第に大蔵省へ目が向くようになった(滝本氏は結局のところ通商産業省(現経済産業省)に入省している)。続く3年次からの荒ゼミでアダム・スミスの完全競争社会論などを学んだ矢野氏。学究の中で、利益を独占するような大企業への入社より、市場の失敗を補い独占利潤や寡占状態を防ぐ公務の道に魅力を感じるようになったという。そうした発想から矢野氏は大蔵省への入省を決めた。
こうして1985年に大蔵省に入省した矢野氏だが、若手職員時代は厳しい日々が続いたという。先輩職員から過剰な量とも言える宿題が課され、叱咤され続けた。この時期について、矢野氏は「自己美化したくはない」と留意しつつ、「非常に鍛えられた」と振り返る。そんな日々でも乗り越えられたのは、「国民のため」という社会正義を常に胸に抱いていたからだと語る。
矢野氏も年次を重ねるに連れて、自らが上司となる場面が多くなっていく。その際、荒先生のゼミでの指導が参考になったという。荒先生は、ゼミ生に指導を行う際、決して叱責することはなく、「〇〇くんは分かっているだろうけれども」などと付言していた。パワハラが横行した時代において、荒先生の優しさに富む指導は特徴的で、あるべきマネジメント像が塗り替えられたと語る。そのため矢野氏も、常識的にパワハラを振りかざすのではなく、部下をほめて伸ばすようなマネジメントを心がけた。
そして入省20年目を過ぎるようになると、課長職への昇進や内閣官房への出向を経験し、政治との距離が近くなった。「官邸主導」が世の潮流となり始めて早20年、官僚が果たすべき役割は何だろうか。矢野氏は「官邸主導だからと言って、官僚はひっこんではいけない。より優れた政策を選択して社会に実装することが全てであり、専門的な知識を持った官僚が遠慮して政策提言してはいけないということにはならない」と答える。その上で、昨今の官邸主導について「オーバーシュート傾向にある」と批判する。20世紀の首相の影の薄さ故に小泉純一郎政権期の頃から官邸主導が推し進められたが、永田町は今や官僚の声に耳を傾けなくなっていると見解を述べる。
こうして約40年務めあげた財務省について矢野氏はどう感じているのだろうか。財務省が行う財政健全化や増税を世間が批判していることに対し、矢野氏は「情緒的だ」と評する。「他国を見れば、増税を行ったり、国債などの返済計画を立てたりしているのに、日本は全くしていない」と現状分析した上で、それにも関わらず財政楽観論や減税論が巻き起こるのは、専ら財政の危機意識が足りないからだと語る。さらに、それは政府が説明責任を十分に果たしていないことに起因するという。もっと財政の危機感を世間に伝播していかなければならないとの思いで、矢野氏は2021年にいわゆる「バラマキ合戦」発言*を行った。また財務省を退官した現在も、一般市民向けの講演会を繰り返し、その数は今や数百回にも上るという。その上で矢野氏は「日本人は勤勉で真面目だから、危機感はいずれ受け入れてくれるはず」と展望する。
最後に、官僚を目指す学生へのメッセージを頂戴した。矢野氏は「官邸主導のオーバーシュートにひるまないでほしい」と学生に呼びかけた上で、「今がオーバーシュートのピーク。絶対に世間からオーバーシュート批判が次第に出てくるはずだ」と答えてくれた。
*矢野氏は、2021年10月8日発売の月刊誌『文芸春秋』にて『財務次官、モノ申す「このままでは国家財政は破綻する」』と題する記事を寄稿。その中で、新型コロナウイルス感染症の経済対策にまつわる政策論争を「バラマキ合戦」と表現し、大きな波紋を呼んだ。