本紙創刊100周年記念企画 バックナンバー 1924年第1号「排日問題と一橋の使命」

 本紙は来年、1924年の創刊から100年を迎える。大正から昭和、平成を経て令和に至るまでの4つの時代を通じ、本紙には学生の視点に基づいた様々な記事が掲載されてきた。この企画はそれらの記事を通して、読者とともに本学のこれまでの歩みを振り返ろうとするものである。
 第1回となる今回は、第1号(1924年6月15日発行)から「排日問題と一橋の使命」と題された記事を取り上げる。なおこの記事は、本学で教授を務めた、堀光亀氏の寄稿によるものである。堀氏は、独立宣言においてすべての人間の平等を唱えているアメリカが、排日移民法(後述)を制定したことを非難し、これを人種問題と捉える。そして今や独立国としての地位を確立した日本が、この問題を解決できる世界で唯一の存在だと主張する。堀氏は続けて、日本人の中でも「一ツ橋同人」すなわち本学出身者こそが、この問題の解決者としてふさわしいと指摘し、その理由を次のように述べる。
 「若夫れ一ツ橋の職分たる商業の天地に至つては、今や国際的に自由平等機会均等主義を基礎として排日熱の旺盛なる米国すら商業関係者の出入往来を妨害するまでには至らないのである。即ち米国の排日は農業及び労働方面に限られ未だ商業の範囲を侵害するに至らないのである。随つて海外貿易の中堅たる一ツ橋出身者は人種的、別待遇に対する除外例をなすものであると同時に今後米国は元より世界各国民に対して日本人の真価を会得せしめ、彼等の偏見を覚醒し、真に人種平等無差別の理想境に導く可く唯一の使徒であると言はなければならぬ。思ふて茲に至れば一ツ橋同人の責は今更乍ら実に重大なるものである事を痛感せざるを得ないのである。」(なるべく原文を尊重したが、適宜句点を補い、誤字は改めた。また旧字体は新字体に改めた。以降の引用部分も同じ。)
 記事が掲載された24年、アメリカではいわゆる排日移民法が成立し、日本人移民の入国が禁止された。その背景には、安価な労働力によって白人労働者の仕事が奪われることへの懸念に加え、日露戦争後台頭してきた日本に対して、アメリカが危機感を抱き、日米関係が悪化していたことが挙げられる。なお排日移民法成立以前にも、06年の日本人学童入学拒否事件や、13年成立の排日土地法といった日本人移民排斥の動きがあった。
 堀氏はこうした状況を打開することが、アメリカを含む世界各国に、商業関係者を送り出している本学の使命であると主張するのだ。また、それと同時に「各人に千態万種の特徴があつてこそ人類の生活は趣味多きものである」として、多様な人々が存在することが、豊かな人間社会を維持していく上で重要なのだ とも訴える。記事の掲載から100年が経った今なお、人種差別は大きな社会問題として残っている。その一方で本学から世界に飛び立つ人材はますます増えている。堀氏の言説は今も色あせず、すべての「一ツ橋同人」が触れるべきものといえるだろう。
 今回取り上げた記事の全文は、本学附属図書館所蔵『一橋新聞』第1巻(不二出版)に掲載されている。

本紙第1号 当時の紙面