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【企画】どうなる?一橋大学

 文部科学省の人文社会科学系学部再編の通知や、下村博文文科大臣の国旗国歌に関する要請などに揺れる国立大学。本学もまた、こうした動きの渦中にいる。今、本学を取り巻く状況とはどのようなものなのか。そして、今後本学はどのような姿を目指していくべきなのか。教育社会学を専門とする中田康彦教授に話を聞いた。

―今回の通知、要請をどのように見ていますか

 今回の通知は先月末が国への提出期限であった、大学の中期目標案に対するもので、予算配分に関わる財政誘導(※)的な側面があります。人文社会科学の相対的な役割低下は、科学技術が重視される現代において自然な流れであると思います。しかし、学問に共通した基礎的な研究が、(実質的に国の指示である)「自主的な」組織再編によって縮小されていくことに関しては、懸念を持っています。地域社会に貢献するかグローバル化をするかの選択を迫られている国立大学再編の動きの中で、人文社会科学の中でも実学的要素の薄い歴史学・哲学といった学問分野を縮小することになるのではないでしょうか。国旗国歌の要請については、その内容自体にはあまり必要性が感じられず、国立大学に「国家統制に服す」経験をさせるというシンボリックな要素が強いと見ています。

 成果主義的な面と思想(国旗国歌)的な面の両面を高等教育機関に求める点が日本的な特徴と言えるでしょう。通知、要請ともに大学の「自主的な」判断に任せるという形にはなっています。ただし、ここで問題になるのが、改正学校教育法・国立大学法人法(※)などによって、事前に学内で議論がしづらい環境整備がなされていることです。

―今後、本学はどのような役割を求められていくのでしょうか、そしてどのような方向に舵をきっていくのでしょうか

 大学上層部の判断事項となっているため、詳細は分かりませんが、学部構成自体に関しては変更があるとは思えません。組織改革とは別にグローバル化対応に向けて動いていると感じます。グローバル社会で活動する人材の輩出という理念も変わらないと思います。

 一橋大学は昨今話題になっている大学の「ふるい落し」とは別の競争の中にあります。大学の種別化が国から迫られている中で、職業人の養成だけではない、研究大学としてグローバル社会で生き残るための競争に、一橋大学は置かれていると言っていいでしょう。

 ただ私は、一橋大学がこうした国の政策による競争に過度に反応していると思います。(山内前学長が掲げた)「全員留学」はそうした反応から生まれたものだと考えています。

―先生ご自身の思う一橋大学のあるべき姿とはどのようなものでしょうか 

 社会科学の総合大学としてある程度の社会的地位を築いてきたのですから、アカデミズムを確かに継承する大学として、時代の波に翻弄されずに、基礎的な研究を数十年年先に引き継いでいくことが責務だと思います。

 04年の国立大学法人化以降、国立大学は納税者である外部者の意見の反映をさせなければいけないという意識が支配的になりました。ですが、よく外部者が用いる「税金で運営されている国立大学なのだから、国の言うことを聞け」というロジックは、教育法学の通説から外れた危険なロジックであると思います。もちろん国民の真摯な要求に対しては、国立大学は検討・対応が必要だと思いますが、専門家である大学教員の自治は担保されるべきです。

 外部者に耳を傾ける一方で大学運営の議論の中には教育の対象であるはずの学生の存在が抜け落ちてしまっています。教員・学生などの内部の声を反映するチャンネルがないのではないかという点が、気になるところではありますね。

 これに関連して、国の動きとは別に、制度の意義が薄れ、一橋大学固有の自治の伝統が衰退してきてしまっていると感じます。そして現在では、議論どころか説明する機会すら失われつつあります。たとえ意思決定が集約されてきているとしても、大学上層部は対外的説明責任を果たすべきでしょう。


※財政誘導……現在、国立大学の収入の多くは国からの国立大学法人運営費交付金が占めている。その総額は年々減少しており、各大学は交付金の獲得をめぐり、組織改革を国から求められている。

※改正学校教育法・国立大学法人法……昨年6月成立し、今年4月に施行。改革の高速化のため、実質的に学長の権限を強化する内容で、学長の独断で大学運営が行われる危険をはらんでいる。