【お酒の世界で「社長」になる】水戸部酒造・水戸部朝信さん

 商学部を抱える本学では、起業や家業を継承する学生をしばしば輩出してきた。酒造業界を見れば、クラフトビールで有名なコエドブルワリー、日本酒メーカーである月桂冠株式会社など身近な企業のトップに卒業生の姿が見られる。本連載では、酒造業界で経営者となった卒業生4人のキャリア遍歴を聞く。老舗の家業を継いだ卒業生、「新参者」として起業した卒業生などの様々な半生を通して、酒造業で若手経営者として働く魅力を探る。


 第3回は、山形県天童市の水戸部酒造・代表取締役の水戸部朝信(みとべとものぶ)さん(平8経)を取り上げる。同社は「山形正宗」のブランドで、年間約800石(14万4000㍑)を製造する、比較的小規模な酒蔵だ。
 水戸部さんは、5代目蔵元として会社を経営し、山形県外への販売拡大を進めてきた。同時に、蔵の現場責任者である杜氏(とうじ)を兼ねており、冬には自らの手で酒を造る。さらに酒米の生産や、日本酒に合う生ハムの輸入などにも事業を広げている。「なんでも屋ですよ。中小企業のオーナーというのは」と笑いながら、蔵を継ぐまでの経緯やその後の取り組みを話した。

 1898年から続く蔵元の一人息子。実家は蔵とつながっていて、冬になると職人が集った。幼い頃から、酒造りや流通の現場を間近で目にした。夜遅くまで配達に出る父の姿に「リスペクトはあったが、俺はやりたくないとも思っていた」と当時の胸の内を語る。
 「山形を離れたい」という思いで上京し、本学経済学部に入学。軽音楽部とテニスサークルに所属した。「東京の次は海外」と考え、1年間のアメリカ留学も経験した。帰国後も、海外赴任機会の多い総合商社を志望し、丸紅に入社した。財務部で輸出金融を担当し、4年目には海外MBAへの派遣制度に応募していた。
 ある日、山形で蔵を続けていた父から電話があった。「経営が厳しい」。継げという直接の言葉はなかったが、水戸部さんの心は一気に動いた。3か月後、派遣留学の合格通知が届いても、蔵を継ぐ意志は変わらなかった。その翌朝、会社に辞意を伝えた。
 「継ぐことは一瞬で決めました。実家の蔵をどうすればいいのかという思いは、(会社員時代から)頭の隅っこにあったのだとも思います」

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 国内の日本酒消費量は1973年がピークで、水戸部さんが山形に帰った2000年にはその約半分にまで減少していた(国税庁調べ)。「酒さえあれば人が集まる」時代は過ぎ、ワインや焼酎ブームにも押された。地元での消費が売り上げの大半を占める中小酒造のビジネスモデルは特に厳しく、多くの蔵が限界を迎えていた。
 帰郷した水戸部さんは、山形県工業技術センターで1年間、酒造りの基本を学んだ後、蔵の経営改革に取り組んだ。地元の卸店経由の販売を変えて、全国からレベルの高い商品を集める都市部の小売専門店に商品を持ち込み、直接取引を目指した。
 蔵元は酒造りの現場に関わらないという、父親の時代の常識を踏襲せず、現場での品質改善や商品企画も主導した。「当時、蔵元の次世代が家業を継ぎ、自ら商品開発する新しい事例が話題になっていた。販売店への営業でも、自分で作った商品でないと、相手にされない雰囲気があった」。10年には、醸造アルコールの添加を廃止し、全商品を純米酒に切り替えた。「当たり前のことを当たり前にやると、酒は美味しくなる。ただしそれは、手間がかかってみんなやりたがらないんです」。
 蔵に戻った当初は、既存の職人との関係に苦労したという。「東京でいい大学を出て帰ってきたボンボンを試すような感じで。認めてもらうために、掃除とか下働きも積極的にしました。一方で蔵は危機的な状況だったので、待っていられないこともたくさんあった」。作業の負担が増える方向への改革を嫌い、蔵を離れた職人もいたが、残った者たちと酒造りを続けた。

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「山形正宗・夏ノ純米」。商品のラベル制作も水戸部さん自ら手がける。日常生活で触れるデザインや音楽などをヒントにしているという。(水戸部酒造HPより)

「山形正宗・まろら」。一般的にはワインの製法である「マロラクティック製法」を用いた実験的な商品。まろやかな味わいが特徴。(水戸部酒造HPより)

 水戸部さんたちが醸した「山形正宗」は現在、関東を含めた約60店舗で扱われている。18年には、世界最大規模の品評会であるインターナショナル・ワイン・チャレンジ(IWC)SAKE部門で、2商品同時に金メダルを獲得した。
 さらに、04年に酒米の自家生産を開始。山形生まれの「出羽燦々」を商品の中心的な原料としている。14年には、県内の他の若手蔵元とユニットを結成した。商品を共同開発するほか、互いにスタッフを短期間派遣しあい、新たなヒントを生む取り組みも行う。目標は、ワインにおけるブルゴーニュのように、「山形」を日本酒の一大ブランドに育てることだ。

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 21年前、「直感」で飛び込んだ酒造り。「自分の手で酒を造ることが、遊びみたいに楽しくて、夢中になって取り組めた」という。「一橋では『好きなことを仕事にする必要はない』と言う先輩が多くて、大きい商社とか銀行とかメーカーばかり勧められた。実際に大きな会社に入ると、社員同士が悪口ばっかり言っていた。今の仕事は不安定ですけど、本当に好きで楽しくて、これはラッキーだったなと思います」


水戸部朝信(みとべ・とものぶ)
 平成8年、本学経済学部卒。在学中にカリフォルニア大学サンタバーバラ校へ留学。新卒入社した丸紅を2000年に退職し、実家である水戸部酒造(山形県天童市)で酒造りと販路拡大に携わる。06年に杜氏となり、08年から代表取締役を兼ねる。