【お酒の世界で「社長」になる】男山酒造・山崎五良さん

 商学部を抱える本学では、起業や家業を継承する学生をしばしば輩出してきた。酒造業界を見れば、クラフトビールで有名なコエドブルワリー、日本酒メーカーである月桂冠株式会社など身近な企業のトップに卒業生の姿が見られる。本連載では、酒造業界で経営者となった卒業生4人のキャリア遍歴を聞く。老舗の家業を継いだ卒業生、「新参者」として起業した卒業生などの様々な半生を通して、酒造業で若手経営者として働く魅力を探る。


山崎五良さん

 第2回は、北海道旭川市の男山酒造の5代目で現在取締役を務める、山崎五良さんに取材した。男山酒造は万石の日本酒を醸造する、北海道でも有数の酒造だ。一般企業を経て継いだ経験や、コロナ禍で売り上げが落ち込む中での取り組みについて興味深い話が聞けた。

 幼いときから、男山酒造を継ぐことは頭の片隅にはあった。「『五良』という名前は、5代目も良くなってほしいという願いからつけられたものです」と語る。しかし、「卒業後10年は好きなことをしていい」という親との約束の下、2008年に総合商社の丸紅に入社した。大規模なエネルギー事業や電力事業を希望していたが、実際に配属されたのは、奇しくも食料部門の飲料原料部。原料を大手飲料メーカーの工場に納める仕事をしていた。
 継ぐことを決意したのは2013年。飲料原料部では希望していた海外駐在の機会がなかったことに加え、「当時高齢となった父親と同年代の方が亡くなるというニュースが相次ぎ、継ぐなら早いほうがいいと思った」と当時を振り返る。丸紅を退社し、大分県の国東半島にある酒造で1年間修行をした後、14年に北海道旭川市にある男山酒造に取締役として戻り、海外展開など事業に関わった。
 海外に売り込む一番の方法は、旭川市にある男山酒造の酒造り資料館だと言う。入場料が無料なこともあり、記念館には年間1万人以上の観光客が訪れる。観光客に試飲してもらうことで、商品の名前を覚えてもらい、帰国後も買ってもらうように誘導する。また記念館での交流を通じて、国ごとのお酒の好みがわかるそうだ。「アジアから来た人は甘口のものを好みますね」と語る。

 丸紅時代とは、職場の環境は全く異なる。残業が当たり前だった丸紅とは違い、男山酒造では残業をする人はほとんどいない。「5時の終業前には皆片付けを始めています。一度7時まで残業した際、通りがかった守衛さんにひどく驚かれました」。また、取締役として社員との関係性にも触れる。「男山酒造の社員は、生涯働く人も多い。一生の付き合いなので、できるだけ社員は大切にします」

 新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けたこの1年は、不要不急の商売だということを思い知らされる1年だった。本州や札幌だけでなく、地元旭川でも大規模なクラスターが発生したこともあって、飲食店への来客は大幅減、卸す日本酒の量も激減した。もちろん家飲みも増えたが、それだけでは到底カバーしきれないほど売り上げは減った。この中で様々な取り組みをしたという。大量に余ったアメリカ向けの日本酒をブレンドして、「諸事情」という名前で発売し、「落ち着いたら乾杯しよう」というキャッチコピーをラベルに書いた日本酒も出した。また、男山酒造所有の自然公園を存続させる、クラウドファンディングを行った。

余ったお酒をブレンドして作られた「諸事情」

  大学生におすすめの日本酒について聞いたところ、意外な返答をもらった。「正直に言うと、日本酒を無理して飲んでほしくないです(笑)。僕自身も同様の経験があるのですが、安い日本酒を下手に飲んで日本酒に対してネガティブなイメージを持たないでほしい。酔うためではなく、味わうために飲んでほしい。また、男山酒造では父の日用のギフトなどを用意しているので、そちらを買ってぜひプレゼントしてほしいです」

 最後に、経営者になる本学生に対して、「地方に行くと一橋の知名度が低いのは覚悟しといてください」と笑いながら話した上で、「他大学と比べてもいい人が多いと思います。またOB会などの組織もしっかりしており、横のつながりが生まれやすいです。(主に北海道で展開するコンビニエンスストアの)セイコーマートの社長も本学出身です。将来偉い立場につく方も多いので、学生の間は様々な人と仲良くして、いろいろな経験を積んでいきましょう」とエールを送った。


山崎五良(やまざき・ごろう)
 平成20年、本学商学部卒。大上慎吾ゼミに所属。2008年丸紅に入社、14年男山酒造取締役、以降海外進出をはじめ男山酒造の様々な事業に関わる。コロナ禍で、「諸事情」といった新製品の開発、宣伝に携わる。