商学部を抱える本学では、起業や家業を継承する学生をしばしば輩出してきた。酒造業界を見れば、クラフトビールで有名なコエドブルワリー、日本酒メーカーである月桂冠株式会社など身近な企業のトップに卒業生の姿が見られる。本連載では、酒造業界で経営者となった卒業生4人のキャリア遍歴を聞く。老舗の家業を継いだ卒業生、「新参者」として起業した卒業生などの様々な半生を通して、酒造業で若手経営者として働く魅力を探る。
本連載では酒造業に携わる本学卒業生の活躍を追う。初回の今回は埼玉県川越市でクラフトビール製造や有機野菜の販売などを行う協同商事の社長、朝霧重治さん(平9商)にインタビューする。朝霧さんは入社当初からビール事業に携わり、2006年にはプレミアムビールブランド「COEDO」を立ち上げた。一時は厳しい状況に追い込まれた「地ビール」事業立て直しの経緯や、ビール業界の展望を聞いた。
高校生の頃から経営者になりたかった。社長や重役の輩出率の高さから本学を志望し、経済学部に入学する。3年次にはより実践的な経営術を学ぶため転学部制度を利用。商学部へ移る。卒業後は数年で退職しMBAを取得することを念頭に、三菱重工へ入社した。
しかし入社して1年が過ぎたころ、思わぬ転機が訪れる。
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「当時はまだ結婚していなかったのですが、会社を経営する義父から、ビール事業の立ち上げを一緒にやらないかと誘われたんです」
義父が営む協同商事は、もともと有機野菜の販売など、アグリビジネスを展開するベンチャー企業だった。しかし、1994年に酒税法が改正されビールの少量生産が合法になったことを受け、ブルワリー業への参入していた。
以前から自分自身で何かを立ち上げることに興味があった。早い段階から新事業に関わりを持てることにも魅力を感じ、入社を決める。
しかしビール事業はすぐに苦境に立たされた。地方観光の土産物として売り出されることが多かった地ビールには、高くて不味い、というイメージが定着。規制緩和で起こったブームは、ほどなくして沈静化に向かったのだ。
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そんなさなかの2003年、副社長に就任し、ビール事業の再構築に着手する。朝霧さんは「クラフトビール」という言葉を使い、地ビールを捉え直すことを目指した。協同商事がもともと持つ、小規模で高付加価値なものづくりという視点を生かした取り組みだった。
当時、日本のビール業界に「クラフトビール」という概念はなく、小規模ブルワリーは観光地としての地域性を前面に押し出した「地ビール」を販売していた。一方協同商事ではドイツから職人を招くなど、ビールの美味しさを丁寧に追求した醸造を行っていた。しかし「地ビール」という言葉が先行した結果、そのことは消費者へ十分に伝わっていなかった。そこで「クラフトビール」という言葉を打ち出すことで、従来の地ビールとは異なる、新しい価値観を消費者と共有することを目指したのだ。
そうして誕生したのが、2006年に発表した「COEDO」ブランドだ。売上高は大きく回復し、一時は生産が追い付かないこともあった。
こうして「地ビール」から「クラフトビール」へと変革を遂げたCOEDOビール。しかしこのことは地域性の消失を意味するわけではない。コエドブルワリーでは今年2月、新型コロナウイルスの影響で中止となった川越まつりを支援する「祭エール」を発売した。売上の一部は、来年度のお祭り開催のため寄付されるという。
「美味しいビールをのんでもらって、それをチャリティーにもつなげていく。自分たちが地域のためにできることをやっていく。それが20年経ってぐるっと回ってきた地ビールの姿なのかな、と思います」
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朝霧さんが目指すのは、ビールの選択肢が多様化した世界だ。大手メーカーの割安なビールから、マイクロブルワリーの高品質な商品まで、消費者が自由に選ぶ未来を思い描く。
その原体験は、学生時代に訪れたヨーロッパで見た光景だ。現地で立ち寄ったパブでは、単に「ビールください」と言っても、注文が通らなかったという。多彩なビールが揃っていたからだ。ヨーロッパでは、それぞれの町や村にブルワリーが根付き、人びとは多様な作り手のビールを当たり前のように楽しむ。クラフトビールという言葉はあまり使われない。
「私たちの究極のミッションはビールの面白さを伝えること。大手メーカーも含め、いろんなビールがあることが当たり前になれば、クラフトビールという言葉はなくなっていく。今はビールが健全化していく過程だと思っています」
1997年、本学商学部卒。学生時代にはバックパッカーとして、アジアや欧州などを巡る。新卒で入社した三菱重工を1年余りで退職し、現在の妻の父が経営する協同商事へ。ビール事業に携わり、2003年に副社長に就任、06年には「COEDO」ブランドを発表する。09年に代表取締役社長。