弓遣いや息継ぎの音まで聞こえてきそうな緊張感。「もっと勢いをつけて」「体全体でリズムをとって」と指揮者の指示が飛ぶ。団員たちは真剣なまなざしで応える。午後6時、冷え込む11月末のキャンパスで、ここ兼松講堂だけは熱い。一橋大学管弦楽団の練習風景だ。創立100周年を迎える一橋大学管弦楽団。その歴史や音作りへの姿勢、節目の年にかける思いに迫るべく、第67代委員長の小島辰仁さん(社3)、コンサートミストレスの藤井瑠夏さん(商3)、PTA議長の菅野勇斗さん(経3)に話を聞いた。
一橋大学管弦楽団は1919年に一橋トリオ倶楽部として誕生した。当初は単独で演奏会を開くよりも、他部活の大会で演奏し花を添える存在だった。
翌20年にはオーケストラと男声合唱を手掛ける音楽部が発足する。関東大震災では、校舎が焼失するも部室は被害を免れ、震災後の混乱の中で間もなく練習を再開した。
第二次世界大戦中には、学徒出陣により自然消滅する。戦後に部員が復学すると、49年にコーラスが、翌50年にオーケストラ班が再開、音楽部は再発足した。58年に音楽部からオーケストラ班が分離、現在の管弦楽団となった。
75年には本学の創立100周年を記念し、上野の東京文化会館でベートーヴェンの交響曲第9番を演奏した。合唱付きのプログラムは当時最大規模だった。
これと相前後して、津田塾大のアンサンブル・フィオリータとの交流が活発化し、度々共演するようになる。設立以来男性中心だった楽団に女性団員が増加する契機となり、85年には初のコンサートミストレスが誕生した。
年始にグスタフ・マーラーの交響曲第9番を演奏するという伝統も、同時期に生まれた。同曲に感銘を受けた当時の団員が始め、今では現役団員とOBが共に参加する大切な行事となっている。
今月13日の記念演奏会では、齊藤栄一作曲の「前奏曲」とマーラー作曲の交響曲第2番「復活」を演奏した。
「前奏曲」はトレーナーの齊藤栄一氏に作曲を依頼し、3月に完成した初演作品だ。2曲目の「復活」およびこれからの100年に向けての前奏曲となっている。調性のぶつかり合いが最終的に基本的なハ長調に収束する、という曲の流れが、激動の歴史と一貫性を象徴するという。藤井さんは「混沌(こんとん)とした中からすごく単純な調に収束していく感じが、お客さんにも分かって頂けると思います」と語る。過去の演奏曲といった団ゆかりの曲が多く引用されている点も、魅力の一つだという。
交響曲第2番「復活」は、演奏者の多さや合唱の挿入を特徴とする、演奏時間80分超の大曲。第一楽章で生死や人生とは何か、という問いが提起され、過去の回想や現実への憂鬱(ゆううつ)を経て、最終楽章で救いの光が見える、というストーリー性を持つ。「学生から社会人になる人生の岐路で悩みが出てくる中、(こうしたストーリー性に)親近感を覚えやすい」と藤井さんは言う。菅野さんは、大編成のオーケストラの生命力と音色の美しさの対比を強調した。
▼おわびと訂正(1月11日)
本記事のWeb先行公開版で、1975年の一橋大学と津田塾大学管弦楽団の2団体の関係に言及した部分において、「前者が後者を合併した」という旨の、事実に反した記述がありました。
おわびして訂正します。