市制施行50周年を記念して、本学学長・蓼沼宏一氏と京都大学総長・山極壽一氏による、講演および対談「希望の社会をつくる〝知〟と〝学び〟」が、10月22日にくにたち市民芸術小ホールで行われた。両氏はこのまちに、どのような思いを抱くのか。これからの時代に、何を見出すのか。
国立が産んだ二人の大学人の対談とあって、場内には幅広い世代の市民が詰めかけていた。中学生の参加者から、これからの時代に求められる視点を問われると、蓼沼学長は「非常に変化の激しい時代において意思決定をしていかなければならない。大事なのは、人間はどうあるべきか、社会はどうあるべきかという価値判断。価値や規範について正しい判断をするためには、科学技術と社会を共に深く理解することが必要だ。人類の蓄積してきた知的資産に学び、自分の思考の論理へと昇華させていって、物事の真の姿を捉える力を身に付けてほしい」と述べた。また、かつて研究のためにゴリラと生活したことがあるという山極氏は「別の生物の世界でも、海外でも構わないから、まずは向こう側の世界へ行ってみてほしい。その際に大切なのは、『身体で考える』こと。文化は身体に染み付くものなので、頭に入れただけではすぐ抜けてしまう。身体で考えることによって、違う価値観を自分の中に入れることができ、それが、複数の視点で世界を見つめるということにつながるはず」と答えた。
国立の思い出 「知」の形成に一役
両氏は国立三小・一中の先輩後輩同士でもある。幼少期の国立での体験は、両氏の「知」の形成にどのような役割を果たしたのか。アメリカに留学していた5年間以外常に、国立に関わってきたという蓼沼学長は、精神そのものがこの街で培われてきたという。「この自然豊かな、静謐な環境の中で読書や考え事をし、また毎日2時間くらいかけて新聞を読んでいたことが、今の自分の経済学的思考の土台となっている」。さらに、国立の環境が、一橋大学のために働こうと感じさせてくれたとも述べた。
山極氏は、夏のプールでの遊泳や、当時流行っていた貸本屋通いなどの幼少期の遊びで体力・知力を養ったと話す。加えて、国立で過ごした時期を「モラトリアム」と表現した。「職人の街である京都のように完成されたものがない、ニュータウンの国立で、他者から定義されない、何者でもない自分を高校まで維持できた故、大学に行ってから色々なことを試せた。何者でもないということは、色々な可能性を模索できるすごく幸せな状態なのだ」という。
文教都市国立の魅力
両氏は文教都市としての国立をどう見るかについても語った。「国立は、大学と街が相携えながら発展してきたので、学生誰もが安心して勉強できる環境だ」と蓼沼学長。それが一橋大学のセールスポイントでもあるとした。山極氏は現在勤めている京都大学について「京都はより規模が大きく大学の数も多いので、大学都市としては国立より少し複雑になってくる。色々な文化を持った人々が交わり合って暮らしている中で、文化の重みや力強さを感じて、学びが蓄積されてゆく貴重な環境だ」と、国立と比較する形で述べた。文教都市としての国立の魅力については「海外の大学都市にもみられることだが、国立は東京五輪など、国の一大イベントに伴う影響をあまり受けていないため非常に静謐な雰囲気が保たれているのが良い」と話した。
◆山極壽一(やまぎわ・じゅいち)
京都大学総長。75年京都大学理学部卒業。理学博士(京都大学大学院)。14年から京都大学総長を務める。専門は霊長類学で、ゴリラの研究で有名。