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【国立イメージを旅する3】国立駅周辺の過去と未来

JR東日本が、国立駅南口に2棟の商業ビル建設を計画していることが8月に報道され、地元商業団体は反発している。国立駅周辺の整備をめぐっては、2月に国立市がJRから旧駅舎再築用地を買い取り、市の新施設や道路の工事も始まっている。駅周辺整備事業の経緯と現状を取材した。


商業ビル建設が検討されているのは、南北通路と旧駅舎再築予定地を東西に挟む2200平方㍍の土地。すべてJRが所有している。

市商工会長の五十嵐一典さんは、地元商業への影響を懸念する。「JR系nonowa開業で地元商店は打撃を受け、廃業も相次いでいる。駅前に店舗が集中すると、移動に苦労する高齢者にとって不便な街になる」。国立商工振興㈱社長の佐藤収一さんは、「国立は高層ビルの並ぶ立川とは違う。環境や景観を大切にする大学町としての歴史をふまえ、国立らしさを守る必要がある」。

国立駅の歴史と変容

国立駅周辺100万坪の土地は、東京商科大(現・一橋大)が良質な教育環境を確保するための移転先として開発された。商大側は、外観にも配慮した新駅建設を開発業者に要望し、1926年、赤い三角屋根の国立駅が開業。戦後、国立は大学町・住宅街として人気を博し、駅舎は街のシンボルとして知られるようになった。

93年、中央線の立体交差事業にあたり、工事の支障となるという理由で、駅舎の取り壊しをJRが発表した。ただ、「駅舎を残してほしい」という市民の声が強く、2006年の解体時に、市が部材を引き取って保存している。

13年に立体交差事業を終え、新駅舎自体の設備が完成した国立駅の周辺では現在、市が主導する整備事業が実行段階に移っている。旧駅舎を市民や観光客向けのスペースとして再築するほか、駅の南西に子育てと文化活動を支援する施設が建設され、東側の高架下には市の出張所機能などを備えた施設が整備される。

このほか「歩きやすい駅前」を実現するための道路整備も進んでいる。駅東西の車道を延伸・拡張し、南口ロータリーを経由せずに、自動車が駅の南北を通行できるようになる。ロータリーでは交通量が減るぶん、歩道が拡張される予定だ。

整備計画策定と合意形成

駅舎再築を含めたこれらの整備計画は、2000年代の革新派市長期、市民や有識者の意見を積極的に取り入れて策定された。国立の歴史や特性をふまえたまちづくりの目標を定め、現在行われている施設・道路整備の計画が練られた。

ただ、計画の理想主義的な面に対する批判もあった。05年、駅舎を壊さず曳家で移動させる案を当時の上原公子市長が提唱。JRなどの了承を得たものの、市議会で自公勢力などから費用や土地取得の実現性を批判され、予算が通らず断念したこともある。結局、再築のめどが立たないまま、06年に旧駅舎は解体され、部材をひとまず市が保存することになった。

上原市政を継承した関口博・元市長は、南口ロータリーそのものを廃止して円形公園までを広場とするプランを唱えた。だが11年に関口氏を破って当選した佐藤一夫・前市長は、商業団体やバス・タクシー業者の意見もふまえ、最終的にロータリー存続を決断。佐藤氏は旧駅舎再築の方針を維持しつつ、市財政を圧迫しないように、寄付や基金を再築費に使う手法を提案し、議会での了承も得られた。

再びの住民参加へ

策定と合意形成に20年をかけた駅周辺整備事業が、実行段階に移っている。これに携わるのが、本学出身で15年から市の国立駅周辺整備課長を務める北村敦さん(平14社)だ。北村さんは、市民や関係機関が参加するまちづくりを継続していきたいと述べる。

19年度に再築完了予定の旧駅舎についても、「自身の人生と重ね合わせ、旧駅舎の思い出を語る人が多い。こうした思いと、旧駅舎を直接見たことがない若い人々の考えを紡ぎ、魅力的なものにしていきたい」と北村さん。10月14日・17日には市主催の「旧駅舎の活用方法に関する懇談会」が開かれ、市内外から約70名が参加した。参加者は6名ほどのグループに分かれ、「昔ながらの伝言板を置く」「旧駅舎でミニコンサートを行う」といったアイデアを出しあった。

懇談会に参加した芦澤樹奈さん(社2)は「参加者の発言から国立への思い入れが感じられた。駅舎を生で見たことはないが、『大学生にもっと参加してほしい』と言われて意外だった」と振り返った。


 

取材の中で、国立に長く住む人々でも、「国立らしさ」の捉え方が一様でないことに気付いた。しかし誰もが、2年半しか国立で過ごしていない記者の考えにも耳を傾けてくれた。自分たちが学ぶこの街の歴史を知り、先人の思いを引き受けつつ、自分なりの知識と意見も発信する。そうやって、多様な人々が共同して新しい街の姿を織りなしてゆく。ともに生きる社会の息づかいを感じる取材だった。