「大学院」という世界

 大学院生。同じキャンパス内にいるはずなのに、学部生にはどこか遠い存在だ。「昨年度の卒業生のうち大学院進学者(他大学を含む)は約7・6㌫」というデータは、その距離感を物語っているように感じる。大学院生はどこから来るのだろう。何をしているのだろう。そんな疑問から、本学大学院生3人に取材した。


藤木貴史 ふじき・たかし 一橋大学法学部から同法学研究科法学・国際関係専攻研究者養成コースに進学。専門はアメリカ労働法。

藤木貴史 ふじき・たかし
一橋大学法学部から同法学研究科法学・国際関係専攻研究者養成コースに進学。専門はアメリカ労働法。

 法学研究科法学・国際関係専攻の藤木貴史さん(博法3)は本学法学部卒。当初は法科大学院を目指していたが、「学部4年生の夏に試験を受けたのですが、有り体に言って難しすぎまして……」

 試験に落ちた年は留年し、就活も視野に入れていたという。しかし教員に進路を相談したところ、法学研究科への誘いを受け、大学院の道を選んだ。

 学部ゼミでは法制史を学んでいたが、大学院進学の際に最も興味のあった労働法が現在の専門だ。ただ、現在本学で労働法を研究している博士課程の学生は藤木さんのみ。そのため授業や演習だけでなく他大学の判例研究会にも参加し、専門分野に関する議論を交わしている。

 「大学院に行くなら研究職に就きたい」と考えていた藤木さんは、現在博士課程4年目。法学研究科の場合、博士論文は3~4年で提出することが多い。加えて5年目以降は授業料が免除されなくなるため、今年卒業するためにも自宅や図書館にこもって博士論文の執筆に勤しんでいるという。

 ただ博士号を取得したからといって研究者としてのポストが手に入るわけではなく、「就活」として公募サイトを見たりツテを辿ったりしなければいけない。加えて研究職の募集には年齢制限があることも多い。「研究職に就きたいなら、長く一般企業で働くのではなく、早く院進するほうがいい」と藤木さんは話す。

 しかし、学部卒で大学院に進むとなれば学費の心配は大きい。日本学術振興会の制度に採用されれば金銭的援助を受けられるが、採択率は約20㌫(2017年度)と狭き門。藤木さんも採用はかなわなかったという。藤木さんの場合は院生向けの寮に住み、授業料免除や本学の研究助成を受けて支出を減らす努力をしている。今年からは他大学で非常勤講師として働いてもいる。

 費用の工面や卒業後のポスト探しに苦労はある。しかし、「自分で問いを立てて解くプロセスが好きで、研究が性に合っているなら好きにできて良い」と、藤木さんは大学院の魅力を語った。


東京大学教育学部を卒業後、ソーシャルワーカーとして13年、都内の社会福祉法人に勤務。その後本学社会学研究科地球社会研究専攻に進学。修士号取得後の進路は検討中。

金井聡 かない・さとし
東京大学教育学部を卒業後、ソーシャルワーカーとして13年、都内の社会福祉法人に勤務。その後本学社会学研究科地球社会研究専攻に進学。修士号取得後の進路は検討中。

 社会学研究科地球社会研究専攻の金井聡さん(修社1)はソーシャルワーカーとして13年、精神障害者の生活支援に携わってきた。「学部時代にボランティアをしていたデイケアセンターで、精神障害の方から『リハビリ後に就職しても職場に定着できない』という話を聞いた。そのとき、地域の中で受け皿を作る仕事がしたいなと思い、ソーシャルワーカーをしてきました」

 就職して数年で大学院に進み社会福祉の勉強をするつもりだったが、「現場で忙しくしているうちに、いつの間にか13年経っていた」と話す。

 そんな金井さんが学問の空間に戻ったきっかけは、昨年7月、相模原の知的障害者支援施設で元職員が利用者を殺傷した事件だった。被告個人の問題としてだけでは語れないと感じた金井さんは、現場から離れて社会を捉え直したいと、大学院進学に至った。

 本学を選んだ理由の一つは、精神科医でもある宮地尚子教授の著書に触れたことだった。トラウマをもたらす出来事をめぐる当事者や支援者などの関係を示した教授の著書『環状島――トラウマの地政学』を読み、支援者として精神障害に関わってきた自身の考えが整理されたという。

 また、地球社会専攻の「目の前の問題の全体像を把握して現実的な解決を模索する」というコンセプトにもひかれた。「大学院に進むうえで問題意識は大切。社会に出てそれを見つける手もある」

 現在は宮地教授、太田美幸教授のゼミに所属。入学以降、13年培ってきた「自明のもの」が崩れ、問い直しをしているような状態だという。

 「現場を離れたことで、これまで自分が拠りどころとしていたものが、その職場でしか通じない理屈だったと分かることもある。たとえば社会福祉の現場で当たり前のこととされている『共生社会』を考え直してみる。ある領域で当たり前と思われていることが、別の領域の人々には通じないかもしれない。ではどうやってコミュニケーションをとっていくか。そのための言葉を磨くという意味でも新しく自分を作り直していく作業が必要だと思っています」


勝野岳 かつの・がく 大阪府立大学卒業後、本学商学研究科経営学修士コースに進学。専門はスポーツマーケティング。 IT系企業に内定中。

勝野岳 かつの・がく
大阪府立大学卒業後、本学商学研究科経営学修士コースに進学。専門はスポーツマーケティング。
IT系企業に内定中。

 商学研究科経営学修士コース(HMBA)に所属する勝野岳さん(商修3)は工学部出身だが、早くからビジネスマンを志望。学部3年の夏には消費財メーカーのインターンシップに参加し、その憧れを強めたという。

 学部時代はマーケターを志し、事業会社を中心に就活していた。食品メーカーの営業職から内定を得た4年生の夏、ふと自分の将来を考え直した。「給与などの面で、MBAを取ってから別の会社に就職したほうが良いのではないか」。1、2年生の頃にぼんやりと抱いていたスポーツに関わる仕事への夢も思い浮かぶ。関西から東京に出たいという思いもある。大学院進学という選択が浮上した。

 ビジネス全般を専攻するかスポーツビジネスに絞るか。スポーツ業界で働く前に民間企業で経験を積む方がよい、とスポーツ業界にも関わりのあった社会人からアドバイスをもらった勝野さんは、ビジネスを学んで民間企業に就職できるよう、MBAを選択。社会人経験がなくても入学可能で、MBA教育に定評のあった本学に進学した。

 入学時はHMBAでスポーツビジネスの勉強ができるとは思っていなかったそうだが、現在の指導教官と偶然出会い、1年生の冬からスポーツビジネスのゼミに参加。「学生は僕一人。半ばボランティアでやってもらっています。一橋には学生思いの先生が多いなと感じています」とにこやかに話す。

 HMBAで得たものは、ビジネスの世界でどう生きるかという考え方だという。「『大学院=理論、企業=実践』という見方は掴みやすいがそれだけではない。HMBAは 『理論と実践の往復運動』を重視しており、授業で学んだ理論を現実的に起こる事象に落とし込んで考える機会が多くありました。仕事においても、未知の問題を解決に導くホワイトカラーの仕事は理論が必要。きっぱり分けられるものではないと思います」。

 卒業後はIT系企業に就職する。スポーツメーカーからも内定を得ていたが、より多様な仕事のチャンスがあること、出会った優秀な社員から多くのことを学べると考えたことが決め手となった。

 スポーツに関わる仕事という夢は今も持っている。「内定先にプロスポーツチームがあるんです。どのような形になるかはわかりませんが、いずれ携わりたいと思います」


 大学院に通う理由は学生の数だけある。問題意識や夢があるならば、大学院を視野にいれてみてはどうだろうか。就活や労働からの逃避ではなく、将来の可能性を広げる一手として。