連載1回目では一橋大学における自治のあり方を、2回目では大学改革の影響を考察した。今回は、最近20年ほどで自治のシステムが直面した変容と、その現状に迫る。

【90年代までの大学自治――消極的・無関心な学生も】

 「積極的に自治に関わろうというような空気があった。自分が学部生だったころの一橋は、そういう空気を感じられるような空間だったと思う」。学長選挙制度(※)の改廃を巡り、連日の団体交渉(※)が行われた90年代後半に社会学部へ在籍したA教員は、そう語った。ただ、「『学生の自治』といったことには全く無関心な学生も多かっただろう」と付け加えた。

 本連載の第1回では、かつての大学自治の姿を紹介した。そこで取り上げたのは、大小様々な学内問題に対して自主的に、ときには大学当局と衝突しながら、学生が一丸となって解決策を模索する姿だった。だが学生全員が、学生大会や除斥投票に出席する形で直接大学自治に携わっていたわけではない。A教員も「自分から積極的に投票や学生大会に参加していたわけではなかった」という。「自治会の学生に学生大会への参加を呼びかけられて『ああ今日だったのか』と思いつつ会場に向かう、という程度。そうやって参加する学生が自分の周りには多かったが、参加しない学生ももちろんいた」

 ただ、自治活動への参加が消極的な学生や、関心を持っていない学生が一定数いたとしても、00年ごろまでは学長選における除斥投票への参加率が80年の74%を筆頭にほとんど30%を超え、学生大会も開催・成立している。そこでの議決などをもとに団体交渉で確認書を結ぶなど、自治機能はしっかりと稼働していた。集団としての学生が、大学運営に声を届けることができていたという点で、自治のシステムが花開いていた時代であったことは間違いない。

【00年代の変容――大学自治システムの瓦解】

 しかし、そこには陰りもあった。A教員は「(学生が旧来の学長選挙制度の堅持を主張した)98年の団交を少し覗いた限りでは、学生の視点からしても阿部謹也学長(当時)が的確に論破しているという感じだった」という。そして00年代に入ると、事態は急速に変化していった。年に夏・冬の2度開かれていた学生大会は、前期では00年夏の成立以来、定足数を3人上回って成立した03年12月を除いて不成立が続き、06年に定例開催が廃止されると事実上消滅した。後期も同時期には休会状態で、団交や自治会役員の選挙もこのころから行われなくなった。

 前期学生大会の定例開催が廃止された翌月の本紙紙面で、廃止の責任者だった当時の自治会執行委員長が取材に応じている。委員長は最後に成立した03年の学生大会について、運動部の施設に関する議題で体育会の部に参加を呼びかけたため成立したと断じている。そして定例開催廃止には「大きな問題であれば人は自然に集まるはず。大きな問題がないなら開く必要性もない」と言い切る。

 98年入学の上原渉・商学研究科准教授は学生大会について、「休講になって嬉しいなというだけの印象だった」と振り返る。「真剣に問題意識を持っている人はいたかもしれないが、授業に出てサークルをやって、楽しく大学生活を過ごそうという学生がマジョリティだったと思う」

 同じ時期、学長選考参考投票では、01年に40・9%だった投票率は、04年に18%、08年には5・4%と一割を下回るまでに至った。上原准教授は「どういう人が学長になるかということを重要な問題だとは思っておらず、投票に行ったかどうかも覚えていない」という。また01年社会学部入学のB教員は、「自分が関心を持っていることについては、候補者の意見がまとめられたビラなどを確認して投票に参加していた」ものの、「周りの学生と話している中では、候補者の具体的な政策の中身というよりは、どの候補者が有名か、といったことが話題の中心だった」と話す。

 ここまでに取り上げた教員らの発言が、それぞれの在学中の学生の声をすべて反映しているわけではない。だが00年代前半、学生大会が変質し、諸々の制度とともに消えつつあったこの頃、大学内の問題に対し、A教員の時代のように積極的に自治に関わり、自分たちの手で解決を図ろうというような空気は着実に薄まっていたのではないだろうか。

 そうして00年代中盤以降は制度が完全に瓦解してゆくが、そのことを象徴的に表している変化がある。新入生歓迎委員会が4月に新入生へ配布する冊子中での、大学自治の扱われ方だ。00年代前半までは200ページほどの冊子のうち、50ページ前後が「三者構成自治」や「学生大会」などについての解説に割かれていた。ところが、07年には1~2ページに自治会の概要と学長・副学長選考、自治団体連合の紹介のみがまとめられるのみとなり、現在に至っている。

【一橋の現状――今後の可能性は】

 現在も残っている大学自治に関するシステム、学生の意見を大学側に伝えることのできる場は、学長・副学長選考の参考投票と、自治会と教育・学生担当副学長との非公式での会合のみとなっている。今年行われた学長選考での参考投票率は、11・3%で、1割を下回った08年と10年の投票率に比べれば持ち直したが、学生の意思を尊重せよと主張するにはあまりに低い。そもそも、不適任者に×印を付ける除斥形式では、学生の多様な意見を集約して大学運営に反映させることは根本的に不可能だ。

 連載第2回で記したように、学長中心に大学改革が進んでいくのは国の方針でもあり、避けられない。改革の中で学生は、教員らとともにその是非や意義を考え、学生に関わる問題については当事者として意見を発したり疑問を投げかけたりする必要があるはずだ。それは大学の構成員としての、権利であり義務でもある。

 しかし、学生の声を聞けと言っても、その学生が散り散りに意見を連ねたり、あるいは何も言わなかったり、意見の質が低すぎたりするような状況ではどうしようもない。ならば自治会を中心に学生大会を行い、大学側と団体交渉を行って確認書を結ぶといったような伝統の復活を目指すべきだろうか。これについては①学生大会の開催には参加者を集めるため休講措置を取る必要があるが、授業日確保のため祝日や警報発令時すら授業を行わざるを得ない今の大学で休講措置を取れるかどうか、②国立大学法人化以後、大学側の組織や意思決定体制が変わっているが、団体交渉をどの組織に申し入れるべきか、また大学側がそれに応じるかどうか、といった点を考慮すると、現実的ではないだろう。また先に記した通り、そういった伝統的な制度にも問題点は見えていた。現在の大学生や国立大学を取り巻く状況に合致したやり方を考えるところから、始める必要がありそうだ。

 

※学長選挙・学長選考
もともと学生は強制力を持つ除斥投票(有権者の過半数の票が投じられた候補者は除斥される)で参加していたが、98年に阿部謹也学長が文部省(いずれも当時)から学生の参加する制度を「改定しなければ大学院重点化を延期する(『阿部謹也自伝』より)」などとの圧力をかけられたため、廃止した。その後、00年に現行の強制力のない参考投票制度が確立した。

※団体交渉
全学的な重要問題が起こった場合に、学生の代表である自治会と大学の評議会(学長や学部長などからなる、大学の最高意思決定機関。04年の国立大学法人化で改組)が交渉すること。この場で結ばれる「確認書」は、学生と評議会の双方に強制力を持つとされていた。