THE IKKYO SHIMBUN

「研究者」として生きる道

※本記事の一部に記者の確認不足がございました。お詫びして削除いたします。(2021年8月1日更新)

 一橋生の多くは卒業後、就職という進路を選ぶ。有名企業への高い就職率は本学の特徴の一つだが、そんな中でも研究者になる人も一定数いる。画一的に「とりあえず就職」を考える前に彼らの声に耳を傾けてみれば、また違った世界が見えてくるかもしれない。


大学教授 大月康弘教授

――どうして先生一橋大学に入ろうと考えたのでしょうか?

 私は栃木出身なのですが、当時同郷で一橋を出て活躍されていた方が多かったんです。60年安保の際に駐米大使として活躍した朝海浩一郎さんや、電電公社(現NTT)の総裁を務めていた秋草篤二さんがいて、まず素朴に「この大学かっこいいなあ」という思いでした。それともう一つは、2冊の本との出会いです。学園紛争時に一橋の学長を務めていた増田四郎先生の『大学でいかに学ぶか』、後に私が師事する渡辺金一先生の『中世ローマ帝国』を受験生時代に読んでお二人の学問に対する熱意に感銘を受けたんです。特に渡辺先生に関しては、「経済学部なのになんで歴史学なんだろう、会ってみたい」と思って、経済学部を受験することに決めました。

――一橋での学びに関して思い出に残っている出来事はありますか?

 特に印象深いのは、師事した渡辺先生のお宅によくお邪魔していたことです。勉強していて疑問が出ればまず研究室に質問に行く。先生も「よく来たねえ、まあコーヒーでも」と応対してくれる。そこで質問を重ねたり、時に先生に食い下がってみたりね。それで仲良くなると家に呼んでくれたりして。大学生の自分からすると相手してもらえるのがありがたいくらいの先生ですから、嬉しくてよく訪ねていました。今振り返れば傍若無人だったかな(笑)。最近の学生はあまり歯向かってくれなくて寂しいですね。思うところがあれば是非ぶつかってきてほしいです。

――研究者になろうという考えは当初からあったのでしょうか?

 「せっかくこれだけやってきたし、大学院に進みたい」とは思ってました。でも就職活動も同時並行でやっていたんです。というのは、当時は大学院大学になる前で、大学院、それも一橋の経済というのは非常に競争が激しかった。成績は上位でしたが、進学できる自信が無かったんです。結局、頂いた企業の内定は辞退することになりましたが(笑)。

――今ではご自身が学生に教授する立場ですが、一橋生にはどのような姿勢を求めますか?

 僕がよく言うのは、「勉強とは『強いて勉める』ものである」ということです。これは簡単に言えば、「興味のない事柄も無理に学べ」ということ。この世界は様々な事柄が複雑に絡み合ってできていて、それゆえ君たちがこれから直面するであろう数々の問題も往々にしてそうした構造を持っています。その際、自身の好きな分野、専門の視点だけでは解決策を導くには不十分なことが多い。専門外の分野も広く取り込んではじめて、様々な事象についてある程度見通しをつけられる視野の広さが獲得できるんです。一橋生は社会に出れば、目の前の状況、問題を把握し、それについての解決策を提示し、実行に向けて人々を導くという大きな役割が期待されます。一橋が企業の総合職を多く輩出するような大学だからこそ、一橋生には専門に偏らないで「強いて勉める」べきだと私は考えます。