「研究者」として生きる道

 一橋生の多くは卒業後、就職という進路を選ぶ。有名企業への高い就職率は本学の特徴の一つだが、そんな中でも研究者になる人も一定数いる。画一的に「とりあえず就職」を考える前に彼らの声に耳を傾けてみれば、また違った世界が見えてくるかもしれない。研究者の道を歩む二人に話を聞いた。


大学教授 大月康弘教授

大月4月号

――どうして先生は一橋大学に入ろうと考えたのでしょうか?

 私は栃木出身なのですが、当時同郷で一橋を出て活躍されていた方が多かったんです。60年安保の際に駐米大使として活躍した朝海浩一郎さんや、電電公社(現NTT)の総裁を務めていた秋草篤二さんがいて、まず素朴に「この大学かっこいいなあ」という思いでした。それともう一つは、2冊の本との出会いです。学園紛争時に一橋の学長を務めていた増田四郎先生の『大学でいかに学ぶか』、後に私が師事する渡辺金一先生の『中世ローマ帝国』を受験生時代に読んでお二人の学問に対する熱意に感銘を受けたんです。特に渡辺先生に関しては、「経済学部なのになんで歴史学なんだろう、会ってみたい」と思って、経済学部を受験することに決めました。

――一橋での学びに関して思い出に残っている出来事はありますか?

 特に印象深いのは、師事した渡辺先生のお宅によくお邪魔していたことです。勉強していて疑問が出ればまず研究室に質問に行く。先生も「よく来たねえ、まあコーヒーでも」と応対してくれる。そこで質問を重ねたり、時に先生に食い下がってみたりね。それで仲良くなると家に呼んでくれたりして。大学生の自分からすると相手してもらえるのがありがたいくらいの先生ですから、嬉しくてよく訪ねていました。今振り返れば傍若無人だったかな(笑)。最近の学生はあまり歯向かってくれなくて寂しいですね。思うところがあれば是非ぶつかってきてほしいです。

――研究者になろうという考えは当初からあったのでしょうか?

 「せっかくこれだけやってきたし、大学院に進みたい」とは思ってました。でも就職活動も同時並行でやっていたんです。というのは、当時は大学院大学になる前で、大学院、それも一橋の経済というのは非常に競争が激しかった。成績は上位でしたが、進学できる自信が無かったんです。結局、頂いた企業の内定は辞退することになりましたが(笑)。

――今ではご自身が学生に教授する立場ですが、一橋生にはどのような姿勢を求めますか?

 僕がよく言うのは、「勉強とは『強いて勉める』ものである」ということです。これは簡単に言えば、「興味のない事柄も無理に学べ」ということ。この世界は様々な事柄が複雑に絡み合ってできていて、それゆえ君たちがこれから直面するであろう数々の問題も往々にしてそうした構造を持っています。その際、自身の好きな分野、専門の視点だけでは解決策を導くには不十分なことが多い。専門外の分野も広く取り込んではじめて、様々な事象についてある程度見通しをつけられる視野の広さが獲得できるんです。一橋生は社会に出れば、目の前の状況、問題を把握し、それについての解決策を提示し、実行に向けて人々を導くという大きな役割が期待されます。一橋が企業の総合職を多く輩出するような大学だからこそ、一橋生には専門に偏らないで「強いて勉める」べきだと私は考えます。


大学院生 山邊聖士さん

やんべ2017_4月号――大学入学前後の思い出について聞かせてください。

 僕は2011年度入学で高校まで長崎に住んでいたのですが、前期の合格発表が3月10日で、その翌日に高校に合格報告に行きました。でも職員室では先生たちが慌ただしくて、どうやら大変な地震があったらしいと。先生たちが必死で安否確認の電話をしていたり、テレビを見ると今まさに津波で大変な状況だという中継が目に飛び込んできたり、とにかくただ事じゃないという雰囲気でした。

 当時はmixiが流行っていて、入学前から一橋のmixiコミュニティで「募金活動をしよう!」とか「ボランティアに行こう!」みたいな呼びかけが活発にあったんです。入学式自体も日程がずれたりして時間があったので、色んな活動が行われているようでした。でも、僕はそういうところに参加するのはなんだか躊躇してて。頑張っている人たちを横目で見ながら「俺、何してるんだろう」って悶々としつつ4月の頭に上京しました。

――そうした後ろめたさなどが、在学中の活動にリンクしていた部分もあったのでしょうか?

 先述したように「震災だからどうこう」みたいなのはなんか違うなって感じて最初はある体育会に入りました。でも雰囲気が合わなくて、結局一年生の秋にはそこも辞めてしまって。退部後は好きな映画をひたすら見たり、当時世間でも話題になっていた4学期制について教授の方を思いつきで訪問して聞いてみたり。入学当初から抱いてきた鬱屈した思いを発散するように動いていました。特に話を伺った社会学部の渡辺雅男先生からは学問に対する真摯な姿勢などを感じ「研究という道も面白そうだなあ」とこの頃から考えるようになりましたね。

 それと一年生の春休みに、教育関連の活動家の方から誘われて、高校生がキャリアを考えるイベントや高校生と大学生が話し合いをする企画などに携わったりするようになりました。自分はこのコミュニティに馴染んでて楽しかったんです。で、そんななかで「人があるコミュニティに合う、合わないっていう感情はどこからくるのか」ってことに興味が湧いて、その疑問を追求するために学部では社会心理学のゼミを選択しました。

――大学院でも同様の疑問を追求しているのですか?

いえ、大学院では社会福祉などを専門に研究を行っています。実は3年生になる直前に、特定疾患、いわゆる治療法のない難病に罹って一時的に入院することになってしまったんです。そこで「医療」というものに触れたとき、人が人を助けるということや、医療システムの特殊性にも興味を抱くようになりました。それで医療政策関連の講義を取ったりする中で、大学院ではこの内容を研究したいなと。ただ、病気のせいで自分の根源にある問題意識が劇的に変わったかというとそうではないんです。うまく言葉にするのが難しいんですが、「人と人との間に起こる互助の関係性」に自分はずっと興味があって。確かに両分野の切り口は異なるのかもしれないけど、学部と大学院で学んでる内容は自分の中では連続したものと捉えています。

――今後のキャリアについてはどう考えていますか?

 博士課程に進んで今後も「研究者」であり続けたいです。大学の中には教授というポストに就いて安定しつつ、研究者というより実践家として社会に参画していく人もいますが、研究者は真摯に研究していくことにのみ価値を見出していくべきだと思うし、もしそうでないのだとしたら研究者を名乗るべきでないとも思うんです。勿論そういう生き方を否定しようとは思いませんが、僕自身は研究者として、自分自身の興味をずっと追いかけていきたいですね。