【連載】大学の自治を問う

【学内問題の現状――取り入れられない学生の声】

 「大学はいつも、事前に話し合いの場を設けずに決定事項だけを伝えて、こちらの要望はあまり聞き入れようとしない」。体育会総務のある学生がぼやく。昨年度末、運動文化科から、スポーツ方法Ⅰの授業数増加により課外活動での体育館使用時間が減ることを伝えられた。現状でも限られた使用時間を複数の団体が 分け合っており、使用時間の減少は各団体にとって痛手となる。それでも事前に協議などは一切なく、決定事項として伝えられただけだった。

 体育会での問題に限らず、ここ数年の間に様々な面で学生生活に影響する制度の新設・改廃が相次いでいる。そのほとんどで、学生の声が充分に取り入れられ たとは言い難く、結果的に学生生活への影響が出ているのが現状だ。例えば、昨年度から1年生で少人数による英語オーラル科目が必修化し、その履修時間帯が 抽選となったことは、希望する課外活動に参加できない学生を生んだ。体育会や一橋祭運営委員会、一橋新聞部などで構成される自治団体連合への助成金が今年 度、200万円規模で削減されたことは、加盟諸団体の財政には痛手となっている。そして現在大学では、秋始業や学期制改革の準備・議論が進められている が、改革の行方によっては新歓・学園祭などの学内行事や、サークル、部活の発表会、対外試合などのあり方にも影響が出ることは必至だ。

 しかしこういった現状とは裏腹に、一橋大学の歴史をひもとくと、学生に影響のある問題を決するときには大学が学生と対話をし、両者が納得・妥協した上で大学運営のかじ取りをしてきたということが見えてくる。いうなれば、学生による自治の権利が認められていた。

【かつての大学自治の姿――自治とは何か】

 81年に、当時の学部生・院生の自治会が合同で発行した『国民のための大学づくりをめざして』というパンフレットには、学生が大学運営に参加するための 制度として、学長・学生部長(現在の教育・学生担当副学長)選挙への参加、公開質問状、大学当局との会合、団体交渉といったものが挙げられている。そのう ち、学生と大学が合意形成をするために開催されたのが団体交渉、通称「団交」だ。団交では自治会を中心とした学生と、学長を中心とした大学の評議会(当 時、大学の重要事項を審議した機関。04年の法人化で改組)が大教室で対峙して交渉し、双方が合意した事項に関して「確認書」を交わしていた。確認書の内 容は評議会に拘束力を持っていたため、学生は団交を通じて実質的に大学の意思決定に参加していたことになる。

 さらに学生側はこのほかにも、学生大会を開いて学生内で議論を交わし、意見を吸い上げて取りまとめていた。議論されるのは学生に関わる問題で、そこでの決議を自治会が大学との交渉材料としていたという。

 このように、学生も大学の自治に参加するという一橋大学に根強く残っていた考え方は「全構成員自治」と呼ばれる。全構成員とは、教員、職員、学生・院生 のことを指し、全構成員自治とは、これら大学に携わる全ての人たちが、それぞれの立場で大学の自治を形成するというシステムだ。この考え方を一橋大学に確 立させたのは、69年に団交で交わされた「3・1確認書」。確認書には「全学的な重要問題については、学内の全階層(教官・職員・院生・学生)に迅速に報 告し、全学の意見に基づいてこれを解決していく態勢をとらなければならない」とある。以後00年前後まで、この確認書に記された文言を根拠として、学生は 自治活動を行い、大学側も学生の意見を尊重しながら、慎重に学内問題に対処してきた。

 しかしこういった動きは、ここ10年ほどの間で急速に勢いを失ってしまった。過去の一橋新聞によれば、学生大会の出席者数が次第に定足を満たせなくなっ たことを受け、06年には前期学生大会(もともと一橋大学の自治会は1、2年の前期と3、4年の後期でわかれており、学生大会も別々に行っていた)の定例 開催が廃止されたという。その後07年に前期・後期の自治会が統合して現在の学部自治会ができると、さらに数年後には自治会の規約から「学生大会」の文字 まで消え、現在に至っている。団交や公開質問についても、同時期からほとんど行われなくなった。

 現在、2014年という時代はこういった学生側の事情に加え、大学をめぐる社会的な背景がかつてとは大きく変化している。だが、確認書が交わされて以後 数十年間の自治活動が、一橋という大学のアイデンティティーを形成してきたということは疑いようのない事実であろう。そして、それがすっかり忘れ去られて しまおうとしている現状が、この大学にとって致命的な課題であるということを、大学側も、教員も、職員も、そしてほかならぬ学生も、重く受け止めなければ いけない。

【自治の担い手としての学生――学生の権利と責任】

 ノウハウがなくなり、存在自体が忘れられ、学生側も大学側も組織が変容する中で、団交を開こうとする動きはなくなった。ただ、体育会総務、一橋祭運営委 員会などでは、自団体に関わる問題が起これば大学の各部署へ個別に協議を要求している。冒頭で紹介した体育館使用の件や、昨年本紙で報じた一橋祭における 禁酒措置の撤回を求めた動きはその一例だ。自治会でも、1年生への英語オーラル科目必修化の件や、今号で取り上げた正門前への掲示の件など学生への影響が 懸念される問題について、学生としての意見を大学運営に反映させようと奔走している。

 だが、これに対する大学側の姿勢は厳しい。交渉に応じない場合や、「すでに決定したことだから」と議論を打ち切る姿勢を見せることすらある。大学のこういった態度は、大学自治の担い手たる学生の権利を軽視しているともいえる。

 しかし、大学側の問題点と同程度に、あるいはそれ以上に、学生側の問題の根は深い。例えば、学生側の代表である自治会役員の選出方法にも少なからず問題 があり、その正当性には疑問の声もある。数年前に自治会規約が大幅に改定され、役員の選出に関する条項などが削除されたために、現在は自治会長をはじめと する全ての役員が、選挙などを経ずに一部サークルの学生により世襲されているのが実情だ。3・1確認書には「学生全体にかかわる問題の交渉権は学生の代表 機関が有する」とあるが、現状では自治会が「学生の代表機関」として「学生全体にかかわる問題」のような議題について交渉を求めたとしても、大学側として は正式な対応を取りづらいか、あるいは取れないと考えられる。

 だがこれは、自治会だけの問題では決してない。規約改定で削除された条項の多くは、全学生のうち一定人数が学生大会への出席や議題への投票をすることに よってのみ、効力を発するものだ。規約が改定されたのは、従来の規約下では役員の選出すらままならなかったために、せめて自治会活動が停止してしまうのを 避けようとするねらいがあったものとみられる。それは、学生全体が、自治の担い手としての責任を果たすことを放棄してしまったということの現れであると言 わざるを得ない。

 もちろん、2014年現在の在学生は、学生と大学との議論の具体的な様子を目にしたことはない。そもそもその存在を知る機会も、ほぼない。大学が今、国や社会からどのような立場に立たされているか知らせてくれる人もいないし、問題意識を持っている学生も少ないだろう。

 しかしそういった時代だからこそ、いま完全に自治の権利を手放してしまえば、もはや将来二度と、校歌『武蔵野深き』にあるような「自治の鐘」がこの大学 に高鳴り響くことはないだろう。幸いにして、まだ学内にはかつての自治活動のノウハウを知るOB・OGが、教員や院生として多く残っている。関心のある学 生が行動を起こすきっかけはあるし、自治会が、あるいは学生の有志などが、ノウハウを蓄積して関心の薄い学生を喚起していくこともまだ可能なはずだ。国の 政策レベルでも大学のあり方が再考され、大学の姿が大きく変わろうとしているいま、一橋大学にとっての自治の意義を問いたい。