本紙は今年、1924年の創刊から100年を迎える。大正から昭和、平成を経て令和に至るまでの4つの時代を通じ、本紙には学生の視点に基づいた様々な記事が掲載されてきた。この企画はそれらの記事を通して、読者とともに本学のこれまでの歩みを振り返ろうとするものである。
 第3回となる今回は、第174号(1933年9月11日発行)から「ブロック経済と日本 世界経済会議の失敗と世界貿易の将来」と題された記事を取り上げる。この記事は、法政大学教授の平野氏が本紙に寄稿した文章で、1930年代初頭当時の視点から世界恐慌を見つめた、貴重な資料である。
 まず平野氏は、1929年以降の世界恐慌によって世界貿易額が激減したことを受け、「世界経済は若干のブロック経済圏に分裂せんとし、世界市場争奪戦は愈々激化し、各国は益々封鎖的自給経済へ向かう傾向を強化した」と述べる。このことから、世界貿易の前途は暗いものであるとする。 続けて各国が「自国本位の排他的政策」を行っていると批判する。
 1933年夏にロンドンで実施された、世界恐慌の対策を話し合う国際会議、「ロンドン世界経済会議」については、「国際協調の方法によつて世界恐慌を克服する事が今回の世界経済会議  の使命であつた」と述べる。しかし、イギリスの主導によって行われたこの会議は、列強の利害が衝突したため失敗に終わる。
 また平野氏は、イギリスのブロック経済政策を「経済的行き詰まりによつて、自由貿易主義のリーダーたる地位を放棄せしめられた英国の経済政策は最近愈々露骨なる排他主義と化し、英国内ブロック経済政策を強化して帝国市場の確保に腐心し」ていると批判する。平野氏は、英国が貿易競争国である日本の綿製品を英帝国内市場から駆逐しているととらえており、日本の輸出貿易品の現状を「四面楚歌」と表現している。
 最後に平野氏は、各国のブロック政策の効果は一時的なものであり、結局は自らの首を絞めるものだと警告する。そのうえで、「各国がかかる政策に固執せる限り世界恐慌の克服から愈々遠ざかる外ないであらう」と締めくくる。
 この記事は1933年という、まさに世界恐慌を遠因として世界が第二次世界大戦へと突入していく時代において書かれたものである。こうした時代背景を踏まえると、排他的政策に対する危機感や国際協調の必要性といった平野氏の主張が、この時代の人々にとっていかに切実な問題であったかが痛感できる。
 一方でこの状況は、コロナウイルス感染症による深刻な社会・経済的打撃、進展するグローバル化と排他主義の動き、ウクライナやイスラエルでの戦争といった問題を抱える現代にも通じるところがあるのではないだろうか。排他主義の結末に悲惨な戦争があったという過去の事実と、1933年当時にしてその状況に危機感を持っていた平野氏の主張は、いまだに変わらない世界を生きる我々に教訓として強く響く。
 今回取り上げた記事の全文は、本学付属図書館所蔵『一橋新聞』第3巻(不二出版)に掲載されている。