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戦後80年を迎えて 戦禍に散った学生の人生を追う いしぶみの会 竹内雄介代表インタビュー

 戦後80年を迎え、記憶ではなく記録として戦争を捉える人が多数を占める現代に、どのように戦争を知り、その悲惨さを後世に伝えていくか。本紙は、一橋いしぶみの会の世話人代表を務める竹内雄介さん(昭49経)にインタビューを行った。
 戦時中、東京商科大学(現・一橋大学)から卒業生・在学生の多くが出征した。そして、837人が帰還を果たせなかった。
 その837人のなかの1人が疋田博次さん(昭和17年9月学部卒業、享年25歳)だ。学業優秀で、本学の自由の気風を体現していたため、周りからの尊敬を集めた。友人からは将来の学長とも称されていた。卒業と同時に本学の教員となり、予科講師を委嘱されたが、一度も教壇に立つことなく、海軍主計士官となった。
 昭和18年12月、彼は任務で出発する前に教授のもとを訪れ、「わたしが死んだなんていう報告が入るようならば、戦争が終わるのはあと半年でしょう」と言い残した。疋田が主計長(※)だった靖國丸は、昭和19年1月31日に、米潜水艦の魚雷をうけて轟沈し、彼は戦死した。
 彼の戦死を知った後輩は、日記に「ただ誠に偉大な惜しき人を失ったものだ。あの小さなコロコロした体で肩をふって歩く特異な姿ももはや見られなくなってしまった」と記している。
 同会は、戦争で亡くなった先輩一人一人の足跡を調査・記録し、その成果を2016年から毎年一橋大学の学園祭で展示している。一人一人に焦点を当てる活動の始まりは、同会の前代表の「ここにあるのは名前だけなんだよね」という、戦死した学生の名が刻まれた記銘碑を見ての言葉だった。学生たちの個人史を調べていく中で、彼らにそれぞれの人生があることを実感したという。これらが戦没学友「個人」を掘り下げる同会の活動へとつながったとのことだ。竹内さんは、「一人一人を調べる中で、その人が自分に近づいてくるような気がした。彼らは確かに生きていた。彼らの記録をもう1回掘り起こして、読んでもらいたいと思った」と語った。
 戦争をどのように後世に伝えていくか。実際に戦争を体験した世代の減少が進む現代において、それが大きな課題となっている。竹内さんは戦争を知る一つの鍵として「学縁」が重要だと指摘する。同じ「学」校に通っている者の間にある「縁」。同会は、学徒出陣で戦死した学生50人の個人史をまとめた書籍『学徒出陣80年目のレクイエム:還らざる学友たちへ』を出版し、彼らの出身校にも寄贈した。
 「自分たちの活動は、837人の先輩の人生を掘り起こすことを目標としているが、それは新たな戦争犠牲者を出さないという決意でもある」と竹内さんは語る。
 自分と同じ大学に通っていた先輩が、自分と大して変わらない年齢で戦地に赴き、戦死したこと。この事実に向き合う。
〈編集後記〉
 私は、戦争番組で頻繁に繰り返される、「戦争を語り継ぐ」「戦争を自分事として捉える」といった言葉に慣れてしまい、うわべだけの言葉のように感じていた。しかし、「学縁」を通じて疋田さんを知り、彼の思いをあれこれ想像する過程を経て、自分の中でそれらの言葉に内実が伴ったと思う。

※主計長:主計科の責任者。主計科は、経理、被服・食事の供給など幅広い業務を担当する兵科であった。