THE IKKYO SHIMBUN

首くくり表象

庭劇場。栲象さんは毎日ここで首をくくる。

 国立高校すぐ北側の小さな民家。一見ちょっと豪華なバラックといったところだ。門は見当たらず、おそるおそるブルーシートをくぐるとそこに「庭劇場」はある。劇場といっても、庭に簡単なベンチがあるのみ。ここで約20年毎日首をくくり続ける男性は「首くくり栲象」と名乗る。

 夜8時。小さなライトが、椿の枝に下がった紐をぼんやりと照らしている。崩れ落ちそうな縁側に立つ栲象さん。とうとう首くくりが始まる……と思うと今さら怖気づいて帰りたくなってきた。ところが思いのほか庭に降りるのにも時間をかける。重い足踏みやバレエのような屈伸。その極限までスローな動きは指先まで緊張しているようにも見えるし、リラックスしているようにも見える。縁側から降りた後も庭を行ったり来たり、彷徨う。意識が栲象さんの目線、指先の指す方向、足の接地音へ集中していく。今の目線の移動に何のきっかけがあったのか、なぜ今足を踏み出そうとしてやめたのか、考えを巡らさずにはいられない。1、2メートル先にいるはずの栲象さんがあまりにも遠い。時々、風の冷たさや明らかに生きている何かが庭の草を揺らす音でつかのま現実に戻されてはまた、栲象さんの動作へと引き込まれていく。

 栲象さんの目線や足が紐に向くたび自分の体が強張る。紐に近づいては遠ざかることを繰り返していた栲象さんが、とうとう首に紐をかけた。足場を蹴った栲象さんの姿は思っていたほどグロテスクではなかったものの、見てはいけないものを見ているようで後ろめたい。枝と紐がきしむ音、一定のリズムで揺れる栲象さん。時おり木を蹴って方向転換もする。やがて懸垂をするように紐を首から外し、息を切らし唇から涎を垂らす。その表情があまりに生々しく「死にかけ」であったのでぞっとした。そしてまた庭を踏みしめ、縁側に帰っていく。栲象さんが初めて発した「これで終了です」の言葉で、ぐったりと疲れ切った自分に気がついた。

 栲象さんは庭劇場が閉幕すると観客を自宅に招き歓談する。栲象さん手作りのオリーブオイルたっぷりの焼きそばとおすすめのカシス酢ハイをいただきながら、話を聞いた。

 栲象さんは今年で69歳になる。首くくりを始めようと思い立ったのは、49歳と11か月29日目ごろ、らしい。「赤羽の駅前の飲み屋で、仲間と飲んでたの。そしたら『明日50になるなあ』と思ったんだよ。今まで何をやってきたのだろうと汗が出る程うんと考えた。何がやれるだろうって」栲象さんは若い頃から、ダダイズム・シュルレアリスムのムーブメントの中で、路上で痙攣するなどといった芸術活動を行ってきた。天井桟敷に出たこともあるそうだ。それでも毎日やれるものは何か考えた結果、首をくくることにした。「一番嫌なのも首くくりだったんだよね」と笑う。「次の日、サッシで首をくくってみたけどだめだったね。一秒も持たなかった」。それから7年間は観客を入れず、毎日庭で首をくくった。毎日首くくりのために生きていた。首をくくるコツもつかんでいった。首をくくっている間は息をすることだけを考える。時折木を蹴って回るのは、ある日たまたま幹にぶつかった際に、それが食い込んでくる紐の痛みを紛らわすための気分転換になると気づいたからだ。首をくくる体勢を繰り返したせいで歯も浮き抜けていった。

首くくり栲象さん

 なぜ毎日首をくくり続けられるのか。地球に帰ってきた宇宙飛行士の山崎直子さんがティッシュの重みに感動したという話を持ち出して栲象さんは語る。「毎日首くくりをやっていると重力の味を感じられるようになるんだよ。君は重力の味を感じたことがあるか? 地面に足をついて感じる懐かしい重力の味! まるで皮膚感覚を浄化していくような重力の味だよ」その味が忘れられない、だから続けるのだという。

 「庭劇場」としながらも首くくりは芸能ではなく、あくまで日課。「日々触れたものの集合として、首をくくる。台本も筋書きもないし、動きながら画策もしない。それでも内的なドラマはある。ただ、それはストーリーとは全く違う」。日々の首くくりと、月3日ほど行われる観客の前での首くくりにリハーサルと本番のような差はないが、観客の存在は大切らしい。「観客の存在、命を感じて、自分と観客が同等の存在になった時、首をくくる勇気がわいてくる」首くくりは観客のために用意された見世物ではない。観客は単なる目撃者に過ぎないが、「庭劇場」の一部として栲象さんの首くくりに干渉する。

 「首をくくっている間、ふと空に目が向くこともある。悠久の時間がこの一瞬にあると感じることもある。そんなはっと突き抜ける瞬間を待ちわびて、毎日首をくくっているんだよ」

 今日も栲象さんは首をくくる。